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掌編『積み木の夏』

 あの夏、私たちは祖母の家に集まっていた。たまにしか逢えない従兄弟たちを含めた顔ぶれは今でも懐かしい。
 みんなが仏壇のある部屋で佇む中、最初に積み木遊びをしようと言い出したのは姉だったと思う。
「積み木崩したひとが負けだからね」
 積み木遊び。それは毎年恒例のイベントだったのだが、あの夏の私には何だかそれが残酷なゲームに思えたのである。必死に積み上げてゆくのはまるで気難しい"内なる自我"のようで……。でも、そこまではいい。それをみんなで共有する中、崩れるとしたら一体何が崩れてしまうのだろう。
 みんなが住んでる大きな大きなこの世界?
 それとも、私が必死に守ってる自我という名の小さな小さなこの世界?
 受験勉強のしすぎで疲れていたのか、さすがに考えすぎだろうと気を取り直す。今必要なのは哲学などではない、ただひたすら無邪気な笑顔を装うことだ。
 私たちは順番にひとつずつ積み木を重ねていった。どんどん積み上げられてゆくその外観はまるで異国の塔のようだった。時の流れと共に高くなってゆく塔をぼんやり眺め、結局不安はまだ払拭できずにいた。どうも純粋に楽しめない。再び複雑な想いが巡ってくる。
 ついに、私の番が訪れた。震える右手からこのおかしな心を見透かされやしないかと、変な緊張が走った。糸がツンと張られ今にも切れてしまいそうだ。私は呟くように言った。
「ねぇ、もう終わりにしようよ……」
「どうして?」
 すかさずみんなが聞いてくる。その瞳の群れはどこか威圧的だったが、よく見ると奥にはただの子供らしい純真さが光っていた。
「だってもう十分積みあがったじゃない? 凄く綺麗だし、これで完成としようよ……」
 最後の方で僅かに声が震えてしまった。周りからの冷やかな空気を感じたからだ。その時だった。
ものごとはね、いつか壊れてしまうからこそ美しいんだよ』 
 耳元で誰かの声がした。
「え?」私は周りを見渡したが、兄弟、従兄弟たちの声ではなかった。
 じゃあ今の声は何なの?
 沈黙と疑問がその場を支配できていたのはほんの数秒に過ぎなかった。
 ガシャーン!
 気付いた時には積み木は崩れていた。崩したのはもちろん私。しかし、故意だったのか、ただのミスだったのかはっきりと覚えていない。
 当然周りからは陽気な笑い声と野次が飛んできたのだが、私の表情は微笑んでいたように思う。きっとあの瞬間、とてつもなく素晴らしい何かを掴んだのだ。ふと外に目をやると長かった昼はいつの間にか夕暮れに染まっていた。別れ際、みんなと交わす笑顔や握手にあの積み木の崩れる様を重ねた。その瞬間、悦を帯びた青い涙が溢れてきたのだ。次の夏にはまた逢えるというのに、一体なぜだろう。
 車のドアが閉まった瞬間、私たちの夏は終りを告げた。崩れてもまた積みあげられるあの積み木のような季節。だからいつだって夏は私たちに逢いに来てくれるのだ。
 ──でも、きっと、それは同じ夏ではない。そんな諸行無常が切なくて、儚くて、いつか夢の中で同じ夏を見てしまうと思うと……。
 長いトンネルを抜けたとき、窓から見える遠くの街路樹たちが、微かな秋色に染まりかけていた。

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