見出し画像

書くのではない、書かされるのだ

本日は小説も詩も書けそうにないので思いついたエッセイみたいなものを書いてみたいと思います。

元々芸術に貪欲な私は、読書、芸術鑑賞、そして創作活動を生き甲斐としてきました。「気取ってるな、こいつ」みたいに思う人もいるかもしれません。いえいえ、気取ってるのではないです。命を懸けられる最高のライフワークを楽しんでるだけなのです。これだけは絶対に譲れない。なぜなら私は「自分の魂の喜び方」を知っているからです。

では、ここでいきなり警告を鳴らします。

もし、美しい芸術に感動しなくなった人間が、この世の中において圧倒的多数を占めてしまった場合、その時こそ世界の終焉です。

なぜなら、私たちは本来「魂が感動することによって成長してゆく生き物」だからです。もっと掘り下げて言うと、その「芸術」とは何も人間が創ったものでなくてもよいのです。ちなみに神を信じるか信じないかはどちらでもよい、という前提で話をしております。

いつだったか読んだ本の中にこんなフレーズがありました。

宇宙、この地球、この世界、そして、生きとし生ける命たちこそが芸術なのだよ」と。

私はなるべくこの事を忘れないようにしようと心に決めました。その日から、「忘れてはならないよ」と世界が私に語りかけてくるようになったのです。それによってようやく自分の小ささ、尊さに気付くことが出来ました。

妙なことを言う人だな、と思われても構いません。

これまで私は、自分の力で、小説、詩、音楽、などを創作してきました。ただ、最近色んな事がきっかけとなり、考え方に少し変化が出てきたのです。それは、「私はただ、既に創造されていたこの世界を讃えてきただけなのかも」という事です。お釈迦様の掌の上で駆け回る孫悟空だったのかな、とも思い始めました。

いい詩を書く人は、概して謙虚です。それはすべての芸術家、人間にも当てはまる。恐らく先ほど述べた事に気付いているからでしょう。そして大いなる何かに頭を垂れる事の尊さにも気付いているのかもしれません。

もちろん、人と自分は違うので考え方も千差万別。違って当たり前。なので無理して、この記事に対して賛同する必要はありません。もちろん評価して下さったらそれは嬉しいことです。ちなみに私は芸能人のように有名になりたいなんて思いません。一時期は思っていたけれど、いつの間にか消えてなくなってしまった。ただ、作品という、苦しんで産んだ自分の子供たちを多くの人に愛してもらいたいな、という欲はあります。自分の寿命を超えた遠い未来まで残るような作品を産み落とすのが私の夢なのです。有名になる?
どうでもいい、大きく儲ける?どうでもいい、そういうスタンスです。

これからも綱渡りの人生、落下しないよう足元を確かめながら歩んでいきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?