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呼吸記~洞窟に棲まう背徳の詩人~

君に、親愛なる君達にはっきりと告げておく
私は雀である、空を飛ぶ雀である
良いことばかりではない
昨日はカラスに虐められ、羽に怪我を負ってしまった
叫ぶ、叫ぶ、何時間も痛みに叫ぶ
しかし見上げた空は何故か祝福してくれた
君に、いや空に分かるか? 私の痛みが
かぐわしい花たちに己の醜さを、完璧な空に己の不完全さを重ね合わせて泣いた
お父さんに向かって泣いた
肉のお父さんではなく霊のお父さんである
私は雀ながらに必要以上の喜怒哀楽をふせもつ
こんな腹正しい思いや悲しい想いを君は汲んでくれるか?
まずは歌うことで幸福の扉は僅かに開くのだが
肉のお父さんが娘を嫁に出した悲壮感に近い脱出を試みてからは私は屋内に生ける雀ではなく
アウトサイダーな雀となった、いや私には本来アウトサイドが屋内であるのだけど
霊のお父さんは私の脱出を喜んでくれた
苦しみに似た暗闇や洞窟には必ずお父さんが脱出口を用意してくれている
しかし私はそれに気付くのに3年かかった
なんという無駄な時間を過ごしたことだろう
いいかい? 私は雀だがカフカではない
よって私は変身を表現しているのではない
しかし未だに夜を追い払えない
何億の雀が加勢したが、なぜか24時間の半分が暗闇なのだ
やるせない、許せない、楽しめない
蝙蝠には失礼だが私は橋の下を物騒に飛び交いたくはない
さて、感ずるところはこのようにみな独り言に終わり、わが悲哀も歓喜も
言葉を知らないまま成仏してゆく
文字の限界を殴りたい
言葉の限界を蹴りたい
ただ叫んで脱出後の波乱に満ちた生活を君に教えたい
脱出ははじまりでしかなかったのだ
嗚呼お父さん、私は脱出すべきではなかったの?
いや答えは言わないでいいから
ただあの一瞬あいた窓から飛び出したときに感じたドキドキ感
あれをもう一生味わえないと想うと
涙が止まらないのである


誰も真似できないことをどんどん見せていきたい
他とすら比べられないようなポジションにいきたい
多少辛い道のりでもね
楽しむのが大事大事と念仏みたいに繰り返す人はいるけど
それは毎日暑い職場で、暑い暑いを連発するようなもの
やりたいことやってたら口に出すまでもなく楽しいのはまず当たり前
人の心を揺さぶるには針を刺すような痛みを経験しなければならない
楽しいだけじゃない、創作や表現は苦しいことが沢山ある


あなたの愛が芸術家の苦悩を和らげる
時折それはプレッシャーにもなるのだが
愛の言葉は宇宙語なのではないかと思わせられる
休むことは許されない
最後の最後まで、芸術家は作り続けるだろう
この肉体には寿命があるが、生み出した子供は
不老不死なのだと信じてる


人間とは時に残酷で冷淡な生き物である
一度、時期的に、悪い印象を与えてしまい、嫌われたり
避けられてしまうと、その後どんなに食い改め、反省し
変わったとしても「その後の姿」を見てくれなくなってしまうので
再び近づく事は困難となってしまう
人は、最初の印象、ある時期の印象で、相手を決定づけてしまうことが多い
「一ヶ月あれば別人のように変わる」というストイックな者の存在を
どこかで信じていない。面倒だから触らないに限る、となってしまう
いくら自身が変わろうとも、相手の中にいる「自分」の像は時間が止まったまま変わらないのである
私は、人間が短期間でも「変わる」ことを信じる
余程ストイックでないと、すぐには変化しないのだけど


苦しみとは何かを成し遂げるために存在する


目の前で火事が起きていたら、人が逃げ出すさまをみて色々考えますか?
考えるより前に事実を事実として無心で目で追ったりすると思います
芸術も同じで、無心になってそこにある「事実」に身を任せればいいんだと思います
「理解しなきゃ」という観念を捨てれば楽になります
感覚で楽しめばいいんです
芸術に意味を求めちゃだめなんです


未来には死だけが見える
将来には死だけが見える
私はそれを光だと思い込み
それに向かって走り続ける
途切れない表現
走っていれば痛みを感じないで済む
私は死に向かって走っている
私は死に向かって走っている


百年前から知っていた
キーワードはクスノキ
クスノキが教えたのは時期である
葉が落ちるとき闇果てる、花咲かすとき光差し込む
実をつけるとき新たなステージが幕を開ける
有名な歴史を変えてはいけない、歴史に影響を及ぼしてはならない
私は世界について詳しくを書けない
ただひとつ言えるのはこの世には映画や本を超えた壮絶なドラマがある


ルシファーとは最後には葬られる者のことである
ルシファーとは敗れさる運命を背負うものである


読書をしない人間は想像力に乏しくなる
読書は心の食事、読書なくして人間は育たない
活字離れは危険なシグナル


視線にも品格は出る
視線には考え方が出る
むやみに使ってはならない肉体の視線


水の上を歩いた、などを信じるのは自由だが
寒くて氷になっていたのでは? という考えも持っていいはず


あれもこれもと様々なものに手を伸ばした結果、どれもが中途半端になってしまう可能性を考えた
最終的に残るのは創造性が生んだ類希な作品であってほしい
人の心を打つものであってほしい
今は笑われてもいい
最後に自分が笑えればそれでいい


水の美味しさを飲まずに水の味が分かる事が出来るだろうか
太陽の恵みを浴びずに日照りの有難みが分かる事が出来るだろうか
人の痛みを味わずに人の心が分かる事が出来るだろうか


喉の乾いた馬を水場に連れてゆくことはできるが、飲ませることはできない
飲む、飲まないは馬が決める事


書けない、という壁を乗り越える為には
他者にどう評価されるかどうかなどという
臆病にして余計な考えを捨てる事である
ただ霊感の赴くまま、手を、指を走らせよ
魂の浄化はその後にやってくる


計算してしまう自分が憎い
無心でいたいのに
未来という存在しない概念に
計算して挑み続ける自分が憎い


錬金術の如く
私の中の熱い魂を
音に、詩に変えたまえ
グロテスクでも
光っていればそれでいい


瞑想しても滝に打たれてもいかなる苦行をしても人格者にはなれない
そこに「悟りたい」という我欲が存在する限り


わたしは宇宙のみなしご
あなたがたと一緒に彷徨う
ゆらゆらと消えそうになりながらも
必死にしがみついて生きる


固執と執着の先には苦しみが待っている
私は手ぶらでいなければならない
両手が空いてないと真のインスピレーションを
掴めないからだ
「別れ」と「手離す」とは意味が違う
死別したとしても、あなたの心は最愛の者を
手離さないだろう
それでいい
私はいつか最愛の者と別れる日がくる
その時に約束しよう
「宇宙の片隅でまた会おう」と


(過去のメモ帳より抜粋)


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