見出し画像

コーヒーゼリー

一人暮らしを始めて十年以上経ち、自分の世話を自分ですることに慣れを通り越して飽きてしまった。生活のどこに力を入れてどこの手を抜くかも判断ができなくて、全てがぞんざいになってしまっている。ふとした時に自分を大切にできない大元は生活の雑さにあるような気がする。キッチンの換気扇の下に椅子を置いて冷えたコーヒーゼリーを口に運びながらそんなことを考えた。数時間前にガラス容器に流し入れてつくったコーヒーゼリーは、三口目にはもう飽きてしまうような想像通りの味だった。ミルクをドバドバかけてぐちゃぐちゃにして流し込む。飽きてしまった後の私は酷い。自覚はある。誰のことも大切にできない。大切にできないというか、忘れてしまう。存在まるごと。関わってくれた恩人の顔を忘れながら歩き続けている。そういう人との付き合い方しかできないから、こういう結果になる。

ここでさよならしたら、一生のさよならになる。人との関係を時期ごとに区切ってしまうような自分の性格をよく知っていた。そうしようと思っているわけではなく、そうなってしまう。ぼんやりしていたら気づかないうちに消えてしまう。それを取り戻そうともせず、努力も行動もしない。怠惰な自分のこと、自分が一番よく知っている。この状況で一歩踏み込んだことがないから、踏み込むのすらこわい。さよなら、と口に出すと、本当にさよならになってしまう。

シンクに食べ終わったコーヒーゼリーが入っていた容器とスプーンをそっと置く。寂しい。瞬間的に、寂しさがやってくる。全身に震えが走るような寂しさ。黙って耐えるしかない感覚。寂しさは誰と居たってどうにもならない。人は生まれたときから寂しさを体内に持っているのだと思う。秋が来てしまった。だからこんなに寂しいのだ。きっとそう。そうでなければ困る。こんなの、一人でいるのが不正解みたいな締め付けられそうな痛みを伴う寂しさなんて、季節のせいにできないと困る。

寂しさを振り払いたくて窓をあけたら、うっすらと雲がかかっている月がまんまるにひかっていた。バニラアイスみたいな色の月だ。さっき食べたコーヒーゼリーにあんなアイスが乗っかっていたらもっと丁寧に食べたくなっただろうか。大事に味わおうと思っただろうか。口の中にまだ苦味がのこっている。このままで良いのだろうか、と思った。最近毎日思う。このままで良いのだろうか、私は、ずっと、このままで。

ずっとこのままでいたいなと思っていた。安全な場所で同じことを繰り返す生活を続けて、よくもわるくも平凡で、このままがいいなと思える日々が一番かけがえのないものだと思っていた。だけど、ずっと一人相撲みたいな生活を続けていると、私のような人間は誰かと一緒にいないとどんどん人間らしさを失っていくのではないかとも危惧していた。人と関わるのが得意ではない。一人はとても楽だ。でも、ずっと楽を続けていた結果が、このセルフネグレクト気味な生活だ。せっかく無理しないでくださいねと言ってくれたのに、無理しないという方法がもう分からない。


ずっと一緒にいたいですと人生で一度でも言うことができるだろうか。私は、この先一度でも、ちゃんと口に出して寂しいと誰かに伝えることができるだろうか。


大人になって、ずっと一緒にいるということがどれだけ困難なのか理解しているつもりだ。「この人とずっと一緒にいたい」を叶える手段が結婚しかないって絶望的なことだと腹を立てたこともあったし、環境や生活が変わってなんとなく一緒にいられなくなった友人もいる。それでもずっと一緒にいたいと思える人は、大切にしないと絶対に後悔するのだ。たぶん。きっとそうだと思う。たとえ理由があって一緒にいるのが難しくても、一緒にいたかったと思うくらいは許されたい。

どこかで猫が喧嘩する声が聞こえる。近くの田んぼで虫がリンリン鳴いている。私は自分を整えてあげたいと思う。ちゃんとしているようで、実はもうぐちゃぐちゃでよく分からない。やりたいことがあり過ぎて時間が足りないと悩んだり、一つのことに没頭したり、訳もなくワクワクしたりしていた頃の自分が思い出せない。静かに時が流れる。麻痺してしまっている。何が嬉しくて何が好きで何がしたいのか、何が欲しくて何が嫌いで何を守りたいのか。ほんとうは好きだったのか、手に入れたいと思ったのか、もっと知りたいと願ったのか。

寂しい。何も答えが出ない中で、それだけははっきりわかる。唯一クリアに言葉にできる感情。


今はもう分からない。人を好きになるとか、誰と一緒にいたいとか、誰かを幸せにしてみたいとか、同じ空間で暮らしたいとか。分からないと誤魔化してサイレントで失恋をするような日々を繰り返し過ぎて、本当に分からなくなってしまったね。慣れなくていいことにばかり慣れて、どうしようもない大人になっちゃったな。冷蔵庫にはまだ、さほど美味しくもないコーヒーゼリーが入った容器が二つ入っている。日々に、緩い苦味がずっとついてくる。




ゆっくりしていってね