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永遠モノ消費主義者 無駄こそ至福

モノ消費より、コト消費が主流になりつつある。
ブランド物の服やバッグより、旅行やイベントにお金を費やす。

コト消費の例として、『丁寧な暮らし』が挙げられる。
Apple musicで簡単に曲を流せる今日で、あえてレコードで音楽を楽しむ。
コンビニで手軽においしいコーヒーが飲める今日で、あえて豆からコーヒーを淹れる。
スマホひとつで映画が楽しめる今日で、あえて自宅にプロジェクターを置き、本格的に映画鑑賞をする。

[モノ]より[コト]に重きを置く。それが令和の消費者の姿である。

ミニマリストが流行っているのも、そのような背景があるからと言える。
無駄なモノに囲まれた生活より、スッキリと、必要最低限のモノで生きていく。モノが多いことで心が豊かになるのではない。生活の過ごし方で豊かになる。なかなか大切なことである。

ミニマリストに憧れていた時期があった。
憧れた末、ミニマリストの本を購入した。
しかし、読み終えて、あることに気がつく。

自分、ミニマリスト、向いてないな。


だって、私はモノが好きである。
服も靴も、間に合うくらい持っているのに、さらに欲しくなる。モノに囲まれた生活が好きなのだ。

ミニマリストの本で学んだことは、掃除の大切さ。
掃除は、本当に大事。言われなくてもわかるだろうが、掃除をするに越したことはない。
しかし、ミニマリストになりたいとは現在思ってはない。というより、諦めました。

生活感があって、程よくごちゃごちゃした空間が好き。
様々な色や柄が敷き詰められたクローゼットが好き。

給料入ったら、まず欲しいものを脳内で次々と浮かべる。
花柄のヴィンテージのワンピース。ナイキのスニーカー。osajiのラメが入ったマニキュア。お気に入りのお花屋さんのミモザ。などなど。
物欲こそが、日々の原動力になる。
こんな奴が、ミニマリストを目指すなんて、無理難題である。

そんな私の部屋の壁には、ポストカードやらチェキやら雑誌の切り抜きやらがペタペタと貼られている。ミニマリストのミの字も感じられない。
ポストカードこそ、無駄の極みだろうか。
いや、ポストカードはモノ消費者のロマンである。
単体で楽しむもよし、まとめて買って並べるのもよし。
江口寿史展で購入したポストカード達は、今朝太陽の日差しとリンクして、生き生きしていた。
統一感のない壁を見て、気持ちが解れる。

経験も大事。いいレストランで食事をするとか、絶景を眺めるために旅行するとか。

しかし、いつかは無駄になるであろうモノを愛したい。

生活には、無駄が多い。
クローゼットがパンパンになるほどの服はいらない。
何に数回しか履かないスニーカーは何足もいらない。
雑誌なんていらない。いつかは読まなくなる。

その無駄が、贅沢だと思う。
なくても別に生きていけるけれど、あると心が豊かになる。
不要不急の外出が、生活を豊かにしていたように。
映画は家でも観られるが、映画館で観るのがいちばんであるように。

もちろん、モノを増やせばいいというわけではない、と思う。
大事なモノとそうではないモノと区別がつけられる、モノ消費者になれたら、きっと理想の大人に近づけるだろう。

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