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おふろー!

虎のたましい 人魚の涙 著 くどうれいん

エッセイの何が好きって、表現したくても、うまく言葉にできなかった感情や感性を、著者がうまい具合に表してくれている点である。
こう思ってたのって、私だけじゃないんだ、という発見で、救われることもある。
自分に寄り添ってくれている気がする、そばにいなくとも、味方でいてくれている気がする。
くどうれいんさんも、その1人なのだ。

数々の項目中で、特に共感したのが『わたしはお風呂がだいきらい』である。

お風呂の嫌なところは、なんといっても『おふろー!』と言われるところだ。
いままでの人生で母から『おふろー!』と何度言われたことだろうか。
そもそもお風呂が嫌いなわたしは『おふろー!』と言われるとさらに入りたくなくなる。
私はお風呂ざ大嫌い より

私も、お風呂は嫌いだ。正しく言うと、『お風呂に入るぞ、と立ち上がる力』が足りないから、嫌いだ。
しかし、朝慌てて入るお風呂はもっと嫌いである。
実家にいた時は、私も母から『おふろー!』と叫ばれていたものだ。
実家は吹き抜けのため、2階にいる私に母が、1階から『おふろー!』と呼ばれる。
叫ばれることで、余計入る気が失せるのに、母は叫ぶ。
実家には、私、父、母、祖父、祖母が住んでおり、順番に入らなくてはお湯が冷めてしまう。
(追い焚きができても、頻繁にしたら電気代が勿体無いと怒られる)
母は最後に洗濯したいから、と最後に入ることが多く、何度もお風呂をせかされては苛立っていたものだ。
周りの友達は、『おふろー!』と叫ばれるだろうか。
叫ばることなく、さっさとお風呂を済まし、入浴後はストレッチとパックをし、お香を焚き、洋画を観、12時前にはベッドにはいるのだろうか。
(優雅なナイトルーティンの典型的な姿である。自分とはまるで正反対である)
『おふろー!』が嫌いで、一人暮らしした、と言ったらそれは大袈裟だが、それもひとつの理由である。

しかし、くどうれいんさんが、『おふろー!』と叫ばれている。
そして、お風呂が大嫌いだと言う。
まさか、共感してくれる人がいるとは思わなかった。
ちょっとだけ、救われた気がした。

くどうさんは、『おふろー!』に苛立ちながらも、それが親からの《愛》であることを知っている。

あったかいうちに入らないと、風邪引くよ。
疲れてるんだから、お風呂に浸かって休んできなさい。
愛は、必ずしも、柔らかい形をしているとは限らない。

厳しかったり、冷たかったり、しかし深堀りすれば同じ《愛》である。

彼が泊まりに来ると、なるべくお湯に一緒に浸かるようにしている。
私が寒い寒い、と動かないでいると、彼が早く入ろう、と引っ張ってくれる。
お母さん、ごめんなさい。
私、何も自立してなくて、彼がお母さんのような役割をしてて、丁寧な生活を送れてないです。
彼は『おふろー!』と叫ぶことはないが、いつかそんな声かけをしてくるのではないか、とちょっと心配だ。
お風呂は大事だ。
寒い季節だからこそ、お湯に浸かって、芯まで温まる必要がある。
だから、お風呂に入るのが億劫な時は、自分の脳内で『おふろー!』という呼びかけをリフレインさせるのである。

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