冬の蛍




毎年12月に入ると寒々とした町中に温かい光が灯される。

師走の慌ただしさを感じない、このしがない町に私の心に意義深い何かがゆっくりと浸透していく。

12月に咲く薄い桃色の山茶花は喜々としてその光を受け入れる。

その光は冬の蛍。呼び声高い冬の蛍。



必ず現れる冬の蛍を町の皆は神と称え、
結界とも言われるクスノキにお供え物を奉る祭りを
40年前から行っている。
不思議なことに5月頃に咲くクスノキの花も開花してはすぐ枯れるという現象を見た群衆は、不安で胸が悪くなる人もちらほらいた。

ちょうど今日は一年に一度のその祭りが開催される。
夜に行事が始まるということで普段とは違う賑わいを店々はこの町に奏でていた。


普段の夜はこんなに光が出ないもんなので、
海の輝きは半減していた。


駄菓子屋の店番を頼まれていた私はふてぶてと、
神社に向かう地付きのお年寄りや、風車を片手に持つ若造を羨ましく眺めていた。


「大体、神様にお供えするものなんて駄菓子屋には売ってないんだから、店閉じてもいいだろう。」

「あんた、お姉ちゃんなんだから支えてもらわないと何回言った。おばぁは寝たきりだったらお前しかいないだろ。沢山人がきたらどうするんだ。」

「そ、そうだけど、でも、町のみんなは楽しそう…。」

あまり怒らせないように私は兄貴に難癖を付けたが、
ごもごもとした口調に弱さが伝わってしまう。

おばぁが言うに私は世にいう反抗期に突入しているそうだ。
祭りには毎年参加していた。

「兄貴…ごめん…。店番は今日で最初で最後だ…!」

中学生の兄の素早い返し文句に腹が立ったので、
駄菓子屋から遠くに逃げようと慣れない下駄を履き、
神社に並ぶ列に急いで走った。

急いできたもんなので、皆とは違う寒い格好に視線をどこに向ければいいのか迷った先に霜焼けが痛い足先が目の中に入る。
山茶花のように赤い指先を見て涙が一つ。

「おばぁは寝たきりで寂しいな…。」

毎年毎年祖母と蛍を見るのが楽しみだった私は
今年はそれが出来ないことが悔しかったのだ。

若干この祭りに参加する事自体億劫にはなっていたのだが、やはりこの賑やかさには惹かれるものがある。

クスノキがひとつまみできるくらいの距離にいたので、
三三五五の集いの群衆を見て逃げ遅れると思い、焦りを感じていた。

「はやくしないと兄貴が追いかけにくる。」

遠回りでも良いと考え、列を外れ生い茂っている木木に急いで向かう。

「下駄だと走りにくいや…。えい!」

道中に下駄を投げ捨て、冷え冷えとした土の感触を感じながら急いでクスノキへと足を急がした。

だが途中、神様にお供えをする物を持っていないことに気付く。

「しまった。完全に忘れてた。お供え物だけはしっかり渡さないと
、おばぁに叱られる。」
と慌てながら口走る。
駄菓子屋に今更帰るのは後ろめたく、少々罪の意識があったのか、クスノキを後にしてそこら辺の生ける花を探そうと足元に目をやった。
人人の声はもう聞こえず、聞こえてくるのは
心が休まらない凍りそうな足音と、
身を切る様な風の音。
そして見るもの見るもの殺風景が続くのだ。
深い闇へと向かおうとしているのか狂いそうな程焦燥する。

「兄貴に反発したからだ…。もう嫌…。素直に謝りに行くしかないか。」

足は泥まみれで、この泥は心にもへばりついているかのように思わせた。

きっと列に並ぶ皆は、楽しくわいわい陽気に今年一年を振り返りながら浮かれ騒いでいるであろう。

私の顔は鬼の様にシワというシワを寄せ集め、涙を抑えていた。
祖母だったらこんな時私にこう言ってくれるであろう。

「あんなは強い。あんたは強い。」

その時肩に何か温かい物が触れた。

肝を潰す程であった為、図らず大声を出してしまった。

背後を恐る恐る見るとそこには若い女がいた。

首がすらっと長く、雪の白さに負けぬ消えそうな肌と
繊細なタッチで描かれる着物から清楚な香りを漂わせ、
黒髪から見える鹿子玉は蛍がちらほら付いていた。

「娘さん、見てるだけでこっちが寒いわ。はよこれを身につけて、ようあったかくしてや。」

「あ、ありがとう。」

あまりの美しさに息を飲む私に若い女はずかずかとあれやこれは私に厚着させたりしたおかげで身の震えは収まった。
私はまた一つ、
「ありがとう。」
と口下手になりながらも頬を赤くしながら伝えた。
すると若い女はこう言う。
「娘さん、山茶花みたいな色の頬して可愛いなぁ。
 肌が少し薄い方が女の子らしくて可愛いわ。」
私はどう言葉を続ければいいのか分からず、
「ありがとう…。」
と声に出すことしかできなかった。

とわいったものの若い女の鹿子玉に蛍が付いているもんでそればかり気がいってしまい、私は若い女に言った。

「鹿子玉に、蛍が付いてますよ…。なんでお姉さんについてるんですか?」

きょとんとした私の顔を見て若い女はクスリと笑みを浮かべながら優しく息を整えてこう言った。

「その日は今と同じ12月の事やった。私の弟である
京之助のお墓に山茶花を持っていこうと、生ける山茶花を探しに散策していたところ、ようやっと見つけた山茶花の上で蛍が一匹光を元気よく出しておったんじゃ。
あまりの美しさに見惚れていたら、蛍の光は緩徐に弱くなって、そして完全に光を出さなくなってしまった。
私はその蛍を手のひらにそっと置いて思わず涙を流してしまったんじゃ。
一滴の涙が蛍の上に落ちた瞬間、
瞬く間に蛍はまた光をさらに強く灯したんや。
そう、奇跡を見たんじゃ。」

「まさかとは思いますが、その蛍はお姉さんの弟だったりして…?」
私は若い女の話の続きが気になっていながら、
待てない性格だったもんで口走って後悔した。
だが若い女はニコリと微笑みながら
「そうかもしれんね。きっと京之助は蛍に生まれ変わって私に逢いに来てくれたんじゃ。それから毎年12月になると蛍達がこの町に集うようになって、そのうち私は蛍によう好かれるようになったんじゃ。」

若い女の笑い顔は麗しい山茶花のようで、
口の横のシワがやけにくっきりと残る寒さも、
いっそう味が出る美しい顔立ちへと変容する。

私は京之助という名をどこかで聞いた事があったが、
ひとまず若い女と話すことが楽しくて、そこに重点を置きたかった。

「お姉さんは列に並ばなくていいんですか?」

「私はこの時間、弟のお墓に行くと決めてるんよ。
 娘さんも一緒にこの山茶花をお供えしてもらってもいいかしら?」

「あんまし遅くならないなら、いいですよ。」

私は若い女の着物を踏まぬ様、せっせと山道を登る。
深い緑がやけに暗い道と馴染んで墨で塗られた様な空に、
若い女に付いている蛍が希望の灯火に見えた。

「お姉さん、何者なんですか…?」

「…。ほら!着いたで!」

白を切る若い女の前には、今までに見たことがない世界が広がっていた。
大きな丸い広場の周りには高い木々が聳え立つ。
辺りは湖になっておりその湖の上に無数の蛍が星の様に力強く光っている。
中心には京之助のお墓と思われるクスノキが大きく、
存在を出していた。
クスノキに繋がる一本の道に咲く山茶花は
風のたよりを聞き、揺れ動く。

「どうやら娘さんも歓迎されてるみたいや。」

瞠目滑舌として声が一切出ない私に若い女は1人
クスノキへと小走りに向かって行ってしまった。
全身の血流が早くなったように鼓動の強さが痛く、
白い息を切らしてまともに喋れない私は若い女を必死に追いかけた。
蛍も若い女もそのクスノキに向かって走り出す。
天を仰げばそこには蛍の夜空が散りばめられており、
強く生きる蛍のその意志に私は縷々涙が一つ。
この涙は兄貴に歯向かってしまった後悔も多少混じる塩の味。

蛍の群れや山茶花を巻き込む様に若い女は体をぐるぐると回し始め、
白く長い指を軽快に左右に揺らし、つま先を大地に滑らせながら踊り始めた。

私はおとぎ話の中に放たれた何もできない幼い少女。

12月に見る蛍は雪のように降るのだが、
髪に蛍が引っ付く度、痛めつけないよう蛍にそっと
触れては救い出した。
「娘さん、えらい気に入られておるなぁ。」
若い女はさらに口を大きく開けて満面の笑みを浮かべた。
若い女の口紅の色は次第に薄い桃色になり、時間と共に
血色が消えて、偉い白さを放った。
若い女が付けていた鹿子玉がするりと崩れ落ち、
川の流れを連想させるかのように黒髪が雪風を触れる。
「お姉さん!?」
降り積もる雪。クスノキに向かう道中に若い女はパタリと
姿をくらました。
私の目の前の蛍は一斉に天に向かって龍を描きながら去っていく。
雪の上に咲く山茶花はもう目が痛くならない雲の色へと変貌した。
その時だった。
クスノキに繋がる一本の道に亀裂が入り、
次第に穴という穴を作り、
私はその穴へと落ちてしまった。

あまりの出来事に漠然とした私はすでに力は入らず、
ただただ蛍が天に昇る風景しか目に入らなった。




寒い寒い。
体は温かいかもしれない。
でも心は寒いかもしれない。



空虚な心に若い女らしき声が
浸透する。



「時間になってしもうた。どうかこのクスノキに来年も再来年もずっとこの先も来て欲しい。
あんたは強い。あんたは強い。」

最後の言葉に引っかかる。

「おばぁ…なの…?」
私は続けて口にする。
「おばぁ行かないで。行かないでよ。
空の上に行ったら危ないよ。そんな上に行ったら、
天国にいってしまうよ。」

赤子のように震えながら訴えているのに、
蛍は祖母を連れて天国に向かう。

わんわんなく私に誰かが私を抱いてくれている。
温かく逞しい手が私を揺さぶる。

薄目の中はぼんやりとしていたが、
大勢の人が私を心配そうに見ている。
「おい!大丈夫か?」
「兄貴…ここで何してるの?」
「町の人らが妹がクスノキの下で大泣きしてるって俺のところまで伝えにきてもらって行ったらこの様だ…」

兄貴は町の人達に頭を下げて私を起こした。
雪は止み、店じまいの準備に取り掛かっている人の高らかな声が飛び交う中、兄は私にこう言う。
「おばぁがな、おばぁが…」
口走る私は、
「天国に行ってもうたんやろ?」
「なんだその似非方便は?」
兄貴は鼻水を垂らしながら少し笑ってくれた。

「京之助さんと天国で私たちを見守ってくれているよ。」
「京之助ってあの大叔父のことか?」
「うん。」


私は若い女の話はしなかった。



それから一年後。
この町に蛍が姿を現すことはなく、町の皆は騒ぎを起こしていたが
私は冷静にこの現実を受け止めた。



駄菓子屋の手伝いを終わらせ、お供えものを運ぶ為
クスノキへと向かう。


夜に降る雪は音を出さず、
クスノキを白く染める。



その時、雪が一瞬蛍の光を放ったかのように思わせた。
手に持つ山茶花は相変わらず何にも染まらない真っ白を突き通していた。


「おばぁがあなたでよかった。」

あまりの静けさにあの時の下駄の音を思い出す。




私は強い。私は強い。
















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