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老人の者



私はふとした瞬間温泉に入りたくなる。
サウナの90°を感じたいまだ肌寒い季節に、
私は森の温泉旅館へと足を運ぶと決めた。



その地の駅に着いた私は、チケットを握りしめて
改札へと向かう。

改札を出て、空気を1つ鼻からゆっくりと吸う。

「お腹すいた!」

まず腹ごしらえをするのだ。

行きつけの寿司屋には、1人で並ぶ老人が
私に微笑みかけた。

「お一人ですか?」
私は老人に話しかけた。

「そうです。寿司を食べ終わったらここから南の方に散歩する予定です。」

その老人はどうやら遠方から来たようで、
力をつけたいからだというのだ。

健康に気を遣う老人は、
私とは違い、パワーのみなぎり方が違う。


老人は先に店に呼ばれたので、
「ではまた。」
と背中を向けて歩いていった。


私もシワが深くなる年になると、
誰かに微笑みかけたくなるのかなと思った。

私も店に呼ばれたので、席まで向かうと
先ほどの老人が隣の席に座っていた。

私は自分から微笑みかけた。

同じメニューの寿司をお互い頼んで、
無言で寿司を平らげた。

つけすぎた醤油もあまりしょっぱくない。
海の幸とはこういうことか。
海に近い地の魚はやっぱり美味しい。

命を頂くことに何も感じず食べるにも、
しっかり味わうにも、
どちらにせよ人間はみんな命を頂いていることに変わりはない。

ふと思った。

私たちは実は罪人なんだなと。
なんの罪悪感もなくこの命を食せるのは、
何も悪くないと思っているから。

私がした事は悪くない、きっと正しい。
そう思い込む節はあった。

結局は自分を守るためなら、
なんでも正しいと感じる。
そうやって心に傷をつけないように、
私はここまで生きながらえた。


私は我に返ると、老人と目が合った。
老人はやはり私に微笑みかけてくれた。

老人は食べ終わると、
先に店を出る準備をした。

「私の孫娘に似ています。楽しい方ですね。
お幸せに。」

そう言って老人は南の地に行くためにせっせと
足を運ばせた。


この店に来なければ、
小さなご縁もなかったよな。

老人の後ろ姿は誰かを追いかけるような
姿であり、そして古びたアウターが
美しかった。


_




運転手の運転技術を見れるので、
私はバスの一番前によく座る。

蛇のような坂道を軽快にハンドルを切る。

やはり老人は長年の運転に慣れている。

森の温泉旅館へと向かうこのバスは、
都会では見た事ない古びたポスターに
詐欺に気をつけよと知らないキャラクターの
ポスターが貼られていた。

老人は日に焼けた肌をしていた。
荒い運転をしそうな風貌とは真逆に、
安全を意識した、エンジン音もなるべく静かで
居心地のいい運転であった。

右折する角の道では、
しっかり停車して左、右と首をしっかり90°曲げて
右にハンドルをゆっくり切った。

大袈裟な首の振り方に老人感を垣間見た。

次のバス停には人はいなかったので、
停車することなくバスを走らせていた。

50メートル程バスは進んでいたが、
若い男が手を挙げながら、慌ただしく
声を荒げてバスの尻を追いかけていた。


運転手の老人は少し強くブレーキをかけ、
走ってくる若い男に外に放つマイクに怒鳴った。

「ちゃんとバス停で待っててね…!」

老人はそういいながら、
若い男を優しく迎い入れた。


「ほんと、ごめんなさい。」
少しヘラヘラと謝りながら、運転席をスルーしてバスの中の空いている席にせっせと座った。


私は若い男に目を合わせないように窓に顔をやった。


こんな田舎ではあるから、
次のバスを待っていたら1時間後なので
若い男の気持ちも汲み取るように、
老人は旅館へと走らせた。



私は窓の外を見ていると、
道路の端のアスファルトに白い花や黄色い花が伸び伸びと咲いていた。

老人はその花に気づいたのか、
花を踏まないように
バスを少し中央にハンドルを回していた。

ミラーに映る老人の顔は少し強張りは消えて、
和かに運転をしていた。


私は少し安心した。



目的地へと着いたバスは優しくブレーキ踏んで、
サイドブレーキをかけた。
壊れそうな音のサイドブレーキが好きである。


私は今日あった出来事を思い出した。
今日はゆっくりサウナの温度を感じられそうで、
老人の優しさは私の心を解きほぐした。


「ありがとうございました」

私は老人に声をかけた。

運転席の周りの書類は散らばっていたが、
老人の笑顔はやはり私にとって
嬉しかったのであった。






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