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渡り鳥


柊が花をつけて、また可愛らしい小鳥がきなんすなぁ。
春が来たら、あちきは年季明け。

花よ蝶よの花魁も、絹のべべを脱ぎんしたら年季の明けた末路はあわれ。
あっちの岡場所こっちの岡場所渡り歩くはちっともかわいらしくないうるさい鳥のようでございんす。
あちきにも、いずれは大きな口をあけて餌を探しまわる、夜鷹になる日が……

来るのやも知りんせんなぁ。

花魁が続いています。
こう言った遊女の話は好まない方もいらっしゃるかも知れませんが、書かせてください。

実はずっと思っていたことがあります。
yaya さんから『花魁』のお話を書くことに興味がありませんか?と聞かれた時、真っ先に思い浮かんだのは、最近の花魁の扱われ方です。

花魁に憧れる女の人が多くて、それが流行りのファッション感覚のように感じるんですよね。そこに違和感を感じていました。
ちょっと画像検索しても、いやそんなに胸元露出していないから、花魁は。と思うものもたくさん出てきます。
華やかさに憧れる事も、わからなくはないのですが。


廓の遊女にも階層があります。
その最上級が花魁ですが、芸事から文化的教養、立ち居振る舞いまでみっちりと仕込まれていても、やはり遊女は遊女。年季が明けてから好きな人と添い遂げられる人などごくわずかです。身請けが叶った人はまだ幸せで、多くの遊女はまた違う岡場所へと向かうことが多かったのが実情だったとか。
花魁ですらそうです。下の階層の遊女にすれば、「年季が明ける」ということは、「追い出されることに等しかった」のではないかな?と思いますね。吉原の場合、年齢は27歳です。

当然ですが江戸時代の身分制度の中では最下層。江戸に限って言えば、弾左衛門の統治下にありました。
弾左衛門、興味のある方はググってみてください。

やがて岡場所にも見捨てられると『夜鷹』とも言われる辻立ち女郎へ。
化粧で顔を隠した60歳くらいの人もたくさんいたようです。

そもそも彼女達は、主に家族によってお金のために女衒を介して売り飛ばされてきた女性達。堕胎や梅毒に怯えながら、それすらもさだめと煮え湯を飲み込むようにして生きているわけですよね。

かなり拙いですが、前結びの絵を描いてみました。
遊女の特徴であり、最近の写真では花魁装束を華やかに見せるもののように扱われています。もちろん実際華やかですし、同時に遊女を示すものでもあります。

ものの本によれば、前結びというのは「遊女なのだから、手間を掛けさせずに簡単に帯がほどけるようにしておけ」そういうことのようです。
お引きずりと大打掛を現代の花嫁さん同様に、右手で持って歩いています。芸は売っても身は売らぬの芸者芸妓さんは、左手に持つのが作法。

廓の遊女は、ひと夜毎に違う男の元へ嫁ぐ花嫁なのです。

経験したわけでも、直接見聞きしたわけでもないことを書くのはこれくらいが限界です。何かを想像するきっかけになればと思い、多少とも歴史を学んできた者として、書いてみました。

読んでくださった方、ありがとうございます。


#エッセイ #散文詩 #花魁

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