文章に書かれた漬物を幻視した話

よく私はこのnoteで「絵に物理的に描かれた以上のイメージ」について書いている。
これは絵に限った話ではない。
文章でも同じように「文字で書かれた以上のイメージ」は乗る。
というか、小説は俗に「行間を読む」と言われる。
なので私は文字で書かれた以上のイメージの有無で小説の良し悪しを決める。

ただ、書き手のコンディションが悪いと想定通りのイメージが乗らないこともある。

何年か前の話だが、相方が中華圏の話を書いていた時期がある。
その時、どこかの描写で中華式漬物を書いていたにも関わらず、私がその文を読んで見えた映像は紛れもなく日本の沢庵だった。
怪訝に思いながら何度読み返しても浮かぶ映像はどう見ても沢庵だった。
なので相方に聞いてみた。
「これ…漬物が何度読んでも沢庵に見えるんだけど…?」
「あ、ごめん、バレた?ちょっと疲れちゃって、書きながら思い浮かべたのホントに沢庵たったんだわ」

こういった具合である。

前に私が相方の文章力を鍛えたという話も書いたことがある。
その時も文章を読んで浮かぶ映像と書かれた文章の間のギャップの指摘を私はしていたのである。
なので文章の推敲の基準も結局は文字に書かれたものではなく、言外のイメージの方なのである。
「読むとこういうイメージが見えるんだけど、見える映像基準だともっとこう表現した方がしっくりくるのでは?」
という感じに指摘していた。

そういえば、相方と私が別々に好きなものを書き(描き)始めたら二人とも紅葉を書いて(描いて)いたこともある。
割とこういうことはよくある。

なので、結局私たちにとって何につけても大事で、そして基準になるのはやはり脳内イメージなのだった。


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