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想像と違った、ドクターペッパー

 地下の空間で汗だくの中年男性がひとり、自動販売機の前で立ち止まっていた。ここは大須のとあるゲームセンター。いつものように音楽ゲームを何度もプレイした僕は頭から湯気を立ち上らせ、その息は軽く上がっていた。

 現代の音ゲーはリズムに乗ってたのしくミュージック!みたいなノリではない。複雑怪奇な譜面を見切り、二分間に二千近い打鍵と共に皿状のデバイスを回したりする行為を強いられるのだ。音楽を楽しむ余裕などない。

 それを楽しいと言い張る毎日。今日も僕は圧倒的な分量のノーツに押しつぶされると、ため息をつきながら自動販売機に向かい、とぼとぼ歩いていた。コーラでも飲もう。財布を取り出して小銭を探す。

 こういう時はコーラがいい。周りの上級者たちの姿や、急激に成長する若者を見ると自分の下手さ加減に悲しい気持ちになってくるが、そんな時こそコーラの強い炭酸と甘さが、さわやかな泡と共に劣等感を打ち消してくれる。

 善は急げと自販機の前に立つと、コーラの真っ赤なラベルの横に毒々しい紫の缶が目についた。ドクターペッパーだ。噂ではよく聞く。まずいだの、人を選ぶだの、逆にうまいだの、中毒性があるだのと。総じて薬のようだ、という感想も聞く。

 ボタンに向かう指先が左右に揺れる。コーラか、ドクペか。前から気になってはいたが勇気が出ないこの飲み物。ただでさえ僕はセロリや春菊のようなクセがある食べ物が苦手なのだ。

パッケージにはそれを想起させるような「二十種類以上のフレーバー配合」の文字が踊る。ううむ。しかし、ええい。

 ずむ、と指先がボタンに触れた。ガコン、大きな音を立てて缶が滑り落ち、僕の手にはあの毒々しい濃い紫色が重々しくずっしりと収まった。

 あーあ買っちゃったよ。どうしよう不味かったら。捨てるのもあれだし飲み切らないといけないのか。ベンチに腰掛けた僕は意を決してプルタブに指をかける。

 プシュッとコーラと変わらない音と、明らかにコーラとは違う香りが一面に広がった。これは?杏仁、豆腐?思ったより普通そうなそれに一旦の安心を覚え、ひとくち飲み込んでみる。

「ん?ん〜〜?これは、これは……意外に、薄い?」

 強い炭酸からやわらかなチェリーの味が湧き出して、その缶の見た目からは想像もつかないほどに優しい姿が喉を潤していく。そして意外にも味は薄め。てっきりもっと濃すぎる味や香りが口内を暴れに暴れまわり、速やかなギブアップを誘ってくるものだと思っていたが、これは良い意味で拍子抜けだ。すごく飲みやすい。

 そして後味は不思議なことに杏仁豆腐だ。つまりこれはさくらんぼ味の杏仁豆腐炭酸ジュースだったのだ。それも想像より薄味でずっと飲みやすい。そう思うとあんなに怖がっていた自分が恥ずかしくなる。

 安心したのかひとくち、またひとくちと飲むのが止まらない。あ、もう無くなってしまった。

 飲み干してしまった缶をくるくると回し眺めては「また飲んでも良いかも」と口角をあげた。ゴミ箱に響くカラン、の軽い音。消えていた、あの重々しさは。

あなたのそのご好意が私の松屋の豚汁代になります。どうか清き豚汁をお願いいたします。