最悪を考える
いつも、何かする時最悪とは『何か』を考える
仕事でも
プライベートでも
最悪とは何だろうか?
もしも、車の運転が出来なくったら・・・
もしも、自分に何かあったら・・・
もしも、事務所が火災になったら・・・
もしも、相棒に何かあったら・・・
もしも、大怪我したら、階段のみのマンションでどうしたら・・・
もしも、お客様に何かあったら・・・
もしも、お客様が他へ売却したら・・・
もしも、家族に何かあったら・・・
常に最悪を考える事は良い事だと思うのが・・・・
キリがない
全ての『もしも』に対応は出来ない
もしも、年金がもらいないのなら・・・もし、もし
でも、年金をもらえるまで生きている保証はない
誰もが夜寝て、明日起きる保証は何処にもないのだ
何だ、結局『もしも』の事を考えてばかりいたら
身動が出来ない
『もしも』と『最悪』は適度に考える事にしたほうが、良いみたいだ
『もしも』と『最悪』が保険を考える、始まりなのだろう
『もしも』と『最悪』が不安を増殖させる、キッカケなのだろう
『もしも』と『最悪』があってから、考えても遅いのだろう
『もしも』と『最悪』があってから、行動していてはダメなのだろう
そこで、置き換えてみた
『もしも』と『最悪』=【覚悟を決める事】
今まで、色々な人に会って来たが、【覚悟を決めた人】はある意味強い
開き直りなのかも知れないが、目に力が、言動に迫力がある
わからない事が起こること
予期せぬ事が起こること
全てにおいて【覚悟を決めて】行動すれば怖いものはない
あとは、自分が決めれるかどうか?
自分次第なのだ
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