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なりたいものになれた、「夢」のその先。

先日、大学時代のお友達、みきちゃんとランチをした。
彼女は東京でCAとして働いている。仕事が楽しそうでキラキラしていて、外資系、日系の航空会社を経験した彼女は、私からしたらCA界のエリートだなあと思う。

みきちゃんが、言った。
「転職を考えている。」
ええ!そうなの??

「転職」というワードを聞くとは思ってもみなく、一体何があったのか、どういう考えなのかを私は前のめりで彼女に聞いてみることにした。


ーーー

先に、みきちゃんについてもう少しお伝えしたい。

頑張り屋さんのみきちゃんは、レベルの高い英語の他に、中国語と韓国語も話す。大学時代、特に韓国語にハマっていた時期、メイクを寄せている加減なのか、洋服のコーディネートの加減なのか、現地人に間違えられるくらいどっぷり韓国に染まっていた。のめり込み具合が印象的だったし、彼女の魅力的なところだなと思っていた。

CAになりたい夢は、入学当時からすでに揺るがぬもので、就活に向けて、そういった種のスクールにも通っていた(CA養成所のようなものがあるそうです。)。血のにじむ努力の結果、第一希望であるエアラインの最終面接までたどり着いたものの、結果、報われなかった。本当に辛かったと思う。
就活も終盤に差し掛かり、痺れを切らして、みきちゃんは航空業界を諦め、内定の出たホテルに就職した。


就職後のみきちゃんは、ホテル勤めをしながら、CAへの転職活動を続けていた。全く夢を諦めていなかった。

そして、血のにじむ努力の結果、外資系のエアラインに就職が決まったと報告を受けた。「CAになって、世界を飛び回るのが私の目標だから、まだこれからだね。」と言ってたみきちゃんがカッコ良くてたまらなかった。


ーーー

話は冒頭に戻る。
渾身の想いで、CAの夢を叶えた彼女が転職をしたいと言っている。

第一声。「え!みきちゃん今楽しそうだよ!」

みきちゃん自身も自覚をしているようで、「そうだよね、でも・・・」と言葉を続けた。
ホテルから外資系の航空会社に転職をして、1年も経たないうちに、コロナウイルスが世界的に流行し、エアライン業界も大打撃を受けた。約2年間、フライトの仕事はほぼ皆無で、とても精神的に追い詰められた時期でもあった。やっとの想いで就いたエアラインの仕事は、すぐには回復は見込めず、なくなく日系の航空会社に転職することに決めたという。

長い長い2年間、みきちゃんは語学の勉強、そして、キャリアの選択肢を広げるために、簿記の勉強に励んでいた。またいつフライトがなくなるか分からないからと。将来的には米国公認会計士を目指せたら良いなとまで話してくれた。

現在充実した生活を送っているみきちゃんだが、やはり外資系の職場環境の方が彼女に合っているようで、今後、エアライン業界、一般企業を問わず、”外資系”に絞って、働きやすい環境に移行していきたいそうだ。


みきちゃんは、考えが変わったんじゃない。その先に進んだんだ。
キャリアを重ねたからこそ、彼女にとって働く上での”重要な要素”が分かったんだ。と腑に落ちた。


ーーー


私たちは30代に入り、”自分”という軸よりも、”家族”や”子ども”を視野に入れたライフプランをつくり、キャリアを考えるようになった。
みきちゃんは、働くことを続けたいし、子どもも望んでいる。彼女を含めた彼女の家族が幸せになれるような環境とキャリアを選びたいと話してくれた。

CAだろうがCAじゃなかろうが、結婚しようがしなかろうが、みきちゃんがいつまでもキラキラしていたら、もうそれ以上のことはないんだろうなと思う。

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