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「体育座り」にいろいろ思う

「体育座り」、またの名を「三角座り」。
幼稚園から中高生・大人まで、椅子以外の地べたに座る場面では、馴染みの、体に染み付いた座り方ですね。
両手で折れ曲がった足を包み、限りなく縮こまる型です。

しかし、竹内敏晴氏は、『教師のためのからだとことば考』(1999年刊 ちくま学芸文庫・私が読んだのは藤原書店刊『セレクション 竹内敏晴の「からだと思想」2「したくない」という自由』に収録されたそれです)の中で、この型を日本の学校における管理教育を表すものとして指摘しています。
三角座りは、「手も足も出せぬ状態」であり、人体を「物体化」しているという。
「ここまで子どものからだを閉じこめておいて、ようやく教員たちは安心してしゃべりまくることができる。」と。
三角座りは、もともと日本にあったものではなく、1958年に、戸外で座るのはこの形がよかろうと文部省が通達したものだとのこと。

1970年代に教育を受けた私ですが、通常、校庭などでしゃがまないといけない時は、三角座りがとても楽なのでした。
というのも、私は、いわゆる「ウンコ座り」ができない子でした。
しゃがむとお尻が地面について後ろに転がってしまうんです。

膝から上が長いから?ある人からは「足首が硬いからだ」と言われました。
当時はまだまだ和式のトイレ全盛だったので、つま先立ちで用を足してました。今でも和式トイレは足がつってつらいです。
体育の時間などにしゃがむように言われると、非常に苦痛だったので、「早くお尻つけて座らせてくれないかなー」と思っていました。
だから、竹内氏の指摘は新鮮で、うむむむ!と目からウロコなのでした。

翻って、今自分が子どもたちの前で絵本を読むときはどうだろうと考えると、体育座りを強いる先生(時には正座を強要する先生もいた)にはどうして良いものか困るのでした。
子どもたちにとっては、また学校の中にあっては、先生の言うことが一番なのだろうけど、私は「好きな姿勢で聞いていいよー」と言ってしまいます。
できるだけ劈かれた(ひらかれた:竹内氏の「いのちを劈くレッスン」で使われている言葉)状態で聞いてほしいと思うのです。

確かに、体育座りをすると、首が下を向いてダンゴムシみたいに身体が丸まってしまって、閉じた状態になっちゃいますよね。
それだと、おもしろいことを見つけに行く状態ではなくなってしまう。
立膝になって、にじり寄ってくるくらいが自然な姿だと思ってしまいます(そんなことするとめっちゃくちゃ注意されますがw)。

子どもを集団で管理するときに一番良い座らせ方について、いろいろ考えさせられました。