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アキちゃん

13年住み慣れたブリクストンからソーホーに引っ越して20年経った。ソーホーは十六世紀の初期に国王らが狩猟に使っていた土地で、狩猟の際に"Soho!"という言葉を掛け声に使っていたのが地名の由来となっているのだと、ソーホースクエアに診察室を構えるオーストラリア人のかかりつけ医が教えてくれた。

ソーホーには17世紀に建てられた建物から、フランシス ・ベーコンやルシアン・フロイドのような芸術家たちがたむろしていたプライベートクラブ、ストーンズやビートルズがレコーディングをしていたスタジオまで、史実につらなる建物が何気なく残っている。また、LGBTなんて言葉がない頃からLGBTのソサエティが存在する。数えきれない数のレストラン、バー、クラブが街いっぱいに溢れ、虫たちが蛍光灯に惹かれるように人々はソーホーに魅惑され、いつでもどこでも賑わっている大人の遊び場だ、と、皆、ソーホーを語る。

しかし実はそんなソーホーには何十年もこの場所に住んでいる人たちの根強いコミュニティーがある事を知る人はあまりいない。小学校も、地域の集まりを行う教会もある。町医者もある。住民たちはかなりカラフルで、中華街で働く人、レストランの経営者、マーケットの八百屋のおじさん、大工さん、カフェのオーナー、レコード屋さん、小説家、画家、ミュージシャン、DJ、金物屋さん、ダンサー、元ダンサー・バレリーナ、俳優、昼間は配管工で夜は劇作家、ソーホーで生まれ育った年金受給者、何で暮らしているか分からないけどお金に困っていない人、仕事もお金もないのに何故か大丈夫な人、と、人種も人物も千差万別だが、地域の団結は強く、今となってはなかなか見つける事ができなくなった昔ながらの小さな村が形成されている。

そんなソーホーも、ここ何年かの間、ディベロパーの手にかかり、特に個人経営の商売は家賃が払えずバタバタと店を閉じていった。何十年も同じ場所に住んでいた住民も、ブレイククローズ(破棄条項ーオーナーが家の修復や建て直しを行う場合、いつでも住人との契約を解約できるという勝手な条項)とかいう魔法の呪文(更新の時に契約書をきちんと読まないとこっそりこの危険な条項が入れられている)をディベロパーにかけられて住み慣れた住居を追い出されて行った。段々ソーホーとしてのソーホーらしさはウサギの皮を剥ぐように無残にはぎ取られ、昔のような溌剌とした生活感がなくなってきた。一段と減った住民の数は今では3000人足らず。何とか居残った住民たちは、自分も含め、ごちゃごちゃと入り組んでいる街のへりに隠れるようにひっそりと暮らしている。そしてふらりと外に出ると、いつも住民の誰かががふらりと歩いていてばったり会う。そこでちょっと井戸端会議をする。不思議なもので、皆、お互いの存在を知っている。話した事がない人でもソーホーの住民は誰がソーホーの住民なのか分かるのだ。会った事がなくてもその人物が誰なのか分かっていて、その人の人生のエピソードなどを、何故かかいつまんで知っていたりする。

その話した事がないけど誰もが知っている住民の中の一人に、あるトランスベスタイトのお姉さんがいる。いつもピンクとかオレンジとか「私を見て!」という色合いのフェイク毛皮コートを着て、骸骨のように痩せた体にぴちぴちのズボンをはき、鮮やかな頬紅と、攻撃的な真っ青なアイシャドーを子供の絵のように顔に塗って、かかとの高いサンダルでスッタスッタと音をたてて機嫌悪そうに歩いている。彼女は、時々思い出したように知らない人に声をかけて乱暴にキスをしようとしたりするのでみんなから警戒されている。キスされそうになる以外は特に危害はないので地元のお巡りさんも放っておく。いや、それどころか「ハロー。」と声をかけたり仲良くしている。さて、とても不可解なのが、その突撃キス魔の彼女が私を見ると、いつも必ず「あら、あなたね。」と、急にこわばった顔を優しくして、にっこり笑って投げキッスをふうっと飛ばしてくる。私は毎回、後ろを振り返る。「あれ、これ私に?」「いや、私の勘違いだろう。彼女はきっと他の誰かに向かって投げキッスをしたのだ。」とぷるぷると頭を振るって思い直す。だが、毎回毎回、会う度に投げキッスが私の方向に飛んでくるのだ。

ある日、ハミングバードでケーキを選んでいたら、ウインドウ越しに彼女が通りかかるのが見えた。彼女は最初はさっさと進んでいったが、いきなりウインドウの向こう側から私を見つけて、天才バカボンのように後ろ歩きで戻ってきた。そしてまた「あら、あなた。」(何故か、唇の動きが読める。)と言ってまた投げキッスをウインドウ越しにふうーっと飛ばしてきた。私はさっと後ろを向いて誰か他の人が後ろに立っていないか確かめた。店内は私のみだった。この瞬間、私は投げキッスの相手が自分である事を確信した。やっぱり私だったんだ。何故私?突撃キス魔から飛ばされる投げキッスはとても優しくて、自分だけ特別扱いされたような、どこか嬉しく優越感のような気持ちがあるにはあった。それにしても、何故私?これはソーホーに住んでからの謎の一つであった。

とにかくそんなこんなでソーホーの生活がいつものように過ぎていったある日、突然日本から電話がきた。兄だった。「アキちゃん死んだみたいだよ。」私。「え?」兄「孤独死だったらしい。残念だ。」私「。。。」。アキちゃんは私たちの叔父だ。トランスベスタイトなので叔母というべきか。アキちゃんは母の一番下の弟で、母がアキちゃんと呼ぶから私たちもアキちゃんと呼んでいた。子供の頃から女の子たちとお手玉とかして遊んでいたと母が言っていた。とにかく勉強しなくても勉強ができて、いつも学年でトップだったらしい。ところが、長男となる母のすぐ下の弟が全くの正反対で、力で物を言うタイプ、つまりマッチョでセクシストだった。その叔父さんがアキちゃんを「おかま」と毛嫌いして家から追い出してしまった。以来、アキちゃんをひと時たりとも家に寄せ付けようとしなかった。結局アキちゃんは私の祖母、つまり彼女の実母の葬式にも呼んでもらえなかった。しかし、長女だったうちの母はこっそりと連絡をとっていた。やっぱり弟だもの、と、アキちゃんを心配していた。時々アキちゃんから電話があった。アキちゃんと長話してから母親は私に言った。「アキちゃんがね、三恵子大きくなったかって聞いてたわよ。それから。」母がふっふっふと笑った。「何?」と私が聞くと、「私と三恵子とどっちが綺麗?ってアキちゃんが言ってたよ。」と大笑いした。まだ子供だった私は「綺麗」という言葉と自分が結びつかず、子供としての特権を犯されたような居心地の悪い思いをした記憶がある。アキちゃんは家を追い出されてから、しばらく静岡市の繁華街にあるアパートに住んでいた。母は時々私を連れてアキちゃんを尋ねて行った。父と喧嘩をした時など、アキちゃんに愚痴を聞いてもらっていたようだ。アキちゃんは女の気持ちが良くわかる。その後アキちゃんは東京に引っ越した。ゲイバーで仕事をしているらしいと母が言っていた。

私が大人になって、生意気にもたまに六本木のゲイバーに遊びに行くようになってから、ある日、隣りに座ったお姉さんに、アキちゃんを知っているか聞いてみた。重森という名前が珍しいので、なんとなく誰か必ず知っている気がしたからだ。私の叔父(叔母)さん、重森という苗字なのだけど知っているかと尋ねた。そしたら「あらー、あなた重森さんの姪っ子さん?知ってるわよ。私たちゲイは女の気持ちも男の気持ちもダブルで理解できるんだから、困った事があったらいつでも相談に来てね。」と言ってとても優しくしてくれた。アキちゃん元気なんだな。そう遠くに思った。それから大分して、ある日、母がぷんぷん怒ってアキちゃんと絶交したと私に話した。喧嘩の理由がまた下らなかった。アキちゃんはあれからナイトクラブとかでシャンソンを歌っていたらしく、たまに自分のコンサートとかもひらいていたらしい。ある日母に自分のコンサートのチケット販売を入り口でやってほしいと頼んだのだが、うちの母はへんに、とてもプライドの強い人で「チケットモギリ(死語)なんか頼むなんて失礼な。」と言って真剣に怒っていた。母にそんな事頼まないでお客さんとして招待すれば喧嘩にならなかっただろうし、母も母でチケットぐらいモギってあげれば(?)良かったのにそうはいかの金太郎で、世の中とはそう言うふうに、二度と取り返す事のできないすれ違いができてしまう。そんな小さな事で、アキちゃんは、乱暴な伯父を他所目にこっそり連絡をとり続けていたった一人の姉を失った。私の母も、心の襞にこびりついた女の愚痴をこっそり話す事ができる、頭の切れる小さな弟/妹を失った。そして、私も兄も、小さい頃かわいがってくれた優しいアキちゃんの噂を聞くことはなくなった。

兄からアキちゃんが死んだと聞くまで、私は本当にいつかアキちゃんに会える気がしていた。どこかばったり。もう、どんな顔をしているのかも覚えてなかったけれど、会えば必ず気がつくと思っていた。同性愛者が肩身の狭い思いをする時代と国で、意地をはって生き果てたアキちゃんの事を思うと、ゲイだのなんだのまったく関係ない自由な世界である私の住むソーホーをアキちゃんに見せてあげたかったと心底感じた。

そんな事を考えていたら、いきなり投げキッスのお姉さんが、もしかしたらアキちゃんの分身じゃないかのように思えてきた。あの投げキッス、アキちゃんが私に送ってきているのかもしれない、とか意味不明な考えが突然浮かんでかき消すことができなくなった。そうか、だから優しいんだ。あれ、アキちゃんだ。アキちゃんが投げキッスしてるんだ。なんだ、だから私だったんだ。それで、謎が解けた。なんだか泣けてきそうになった。寂しかったのかな、アキちゃん。彼氏がいるって聞いていたから、年取った同性のカップルが互いを労る図を何となく頭にうかべていたのに、孤独死だったとは。本当に残念だ。アキちゃんの声が、開発工事で消えかけているソーホーの伽藍とした空間に響く気がした。「私と三恵子とどっちが綺麗?」

ねえ、アキちゃん、女は顔じゃないよ、度胸だよ。年取った私はそう答えてみる。


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