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モノを捨てるのに罪悪感を抱いてしまうので

子どもたちが使ったランドセルを、次の誰かに使ってもらえるように、お届けしてきました。

子どもが6年間お世話になったランドセル、どうしたものかな、と探して見つけました。イオンが窓口となって、国際協力NGOジョイセフさんから、アフガニスタンの子どもたちにランドセルを届ける取り組みがあるそうです。

ランドセルは、かなりしっかりしたカバンです。6年間、ほぼ毎日使うのに、6年経っても、まだまだ充分に使える。このまま処分するのはもったいないけれど、さりとて、この先の使い道のあてもなし。

だから、次の誰かが使ってくれる、というのは、とても有難いのです。
エコのためでも、SDGsのためでもなく、アフガニスタンの子どもたちの役に立とうなんておこがましいことを思ったのでもなく。
ただただ、「モノとしてまだ充分に使えるもの」を捨てる罪悪感から解放してもらえて、本当に感謝しているくらいです。

モノはなるべく増やさないようにしているのに、気づいたら増えて、収納許容量をすぐに超えてしまうんですよね。何とかしなくちゃいけない。多くは捨てるしかないのですが、どうにも、モノに対して申し訳なくて仕方がない。まだ充分に使えるのになぁ、って思っちゃうんです。

だからって、まだ使えるモノだから、と、捨てずにクローゼットの奥に取っておいても、活用しなければ、やっぱりもったいないことには変わりがないんですよね。だって、生きてない。モノとしての〈物生〉を生きていない。

そう考えると、やはり、「使ってくれる誰か」の手元に届くことが良いのでしょう。

最近は、元の持ち主と、使ってくれる誰かを繋いでくれるサービスが増えたと思います。古本屋さんと古着屋さんは明るくておしゃれな感じの店が増えて、店に入るハードルがぐっと下がりました。古着屋さんでも引き取ってもらえなさそうな服は、ユニクロのリサイクルボックスに入れに行きます。メルカリなどのフリマアプリもあります。

誰かが使ったものを、次の人が使う、ということに対する抵抗が少なくなった気もします。私の友達はOSAGARI絵本、という店名の絵本の古本屋をやっているのですが、「おさがり、って、使い古しではなくて、前の持ち主の思い出が詰まっているんだよね」と話しています。前の持ち主が大切に大切に読んで、その楽しさを次の誰かにもバトンタッチしたいという想いがあるからこその、「おさがり」なんですね。

使いきれない程のモノを持つ必要はなく、自分が使うだけのモノが手元にあればいい。それ以外のものは、それを役立ててくれる人のところに、うまく届いてくれたらいい。
そんな風に暮らしていけたらいいなぁ、って思うのです。

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