日下さん(BGXさん)と、芸術新潮に出会ってからの記録

尊敬するデザイナーさんについてのブログ記事を書いてみます。長いです。自分の記録用としてでもあります。

もし私がなにかインタビューを受けたとして「好きなデザインの雑誌はなんですか?」と問われたら、間違いなく「2014年ごろまでの芸術新潮」と答えるでしょう。アートディレクターを務めていらしたのは、当時BGX(ビーグラフィックス)代表の日下潤一さんです。約25年間もこの雑誌のADをされていたのだからすごいです。

「芸術新潮」(以下「芸新」)のことは、通っていた旭川の大学の図書館で知りました。デザイン系の大学だったので、美術やデザインに関する雑誌はひととおり揃っており、自由に閲覧することができたのです。ふと手に取って椅子に座ってページをめくり「上品で綺麗な雑誌だな」と思いました。一番注目したのがフォントです。「ヒラギノ角ゴAD仮名」という、当時はテレビ朝日のテロップくらいでしか見かけなかった書体が使われていました。モダンスタイルの書体なのになんだか柔らかい書風。書体の使用事例としても見るのがおもしろかった。そして雑誌の色づかいもなんだか優しく、自分の心にスッと入ってきたことを記憶しています。それからは図書館に行くと、なんとなく芸新を手に取る習慣ができました。

大学のある日の授業。教授と編集デザインの話をしているときに「好きな雑誌はあるの?」と訊かれたので「芸術新潮が良いと思うんですよ」と答えました。そうしたら教授も「芸術新潮は良いですよ」って。教授は元グラフィックデザイナーですが、美しいものに対する審美眼がものすごく厳しい世界的な著名人だったので、そうそう簡単に良いとは言いません。「あ、自分間違ってなかったのかもしれない」と安心しました。それに雑誌自体が、芸術を扱う高尚なものですから。

ある日の本屋さんで、初めて買った芸術新潮は2009年12月号の「唐招提寺」特集でした。タイトルに筆のタッチの強い明朝体が使われており「変な書体だな」と思った(笑)、もっともそれはSCREENが出している「日本の活字書体名作精選」のもので、後に感銘を受けたわけですが、当時はそういう本格的な書体の良さが分からなかったのです。そのとき「あー、これからこの雑誌を集めていくのかな」と不思議な感覚にとらわれたのを記憶しています。といっても、実際にしっかり集めだしたのは2010年5月の「ふしぎなマネ」特集からですね。以降、毎月楽しみにして欠かさず買うようになりました。

大学院生になり、先輩のYさんと一緒にあるプロジェクトに取り組んでいたとき、Yさんが「尊敬するジャズピアニストに会ったときの話」をしてくれました。なんだかそれで盛り上がり、僕が「芸術新潮の日下さんってデザイナーのお仕事が好きで〜」と話したら「会いに行ってきなよ!」って。「そうか!」ってすぐ思いました。

それからというもの、話はトントン拍子に進み、日下さんとメールの交換をはじめ、そうして日下さんの事務所にうかがってお話を聞けることになったのです。2011年の9月でしたか。というと、もう集め始めた1年後には会ってますね(笑)。いろいろ質問事項をメモしていき、ひとつひとつをすごく丁寧に教えてくれました。今ぜんぶの質問の答え暗記してるんじゃないか?ってくらい、すべてのことが印象強かった。日下さんからは「これ持ってる? あげるよ」といろいろ制作物(本や冊子)をいただきました。宝物になりました。

ただ私は、そのお話の最中、こんなことも言ったのですよ。「いま大学院生なんですが……まだ進路が決まってなくて、日下さんの会社で、アルバイトからでも良いので、働かせていただけないかと……」「その、インターンシップとかそういうのだけでも経験させてもらえますか?」……すごい緊張しましたが、とりあえずインターンシップからOKということになりました。ヤッター!

大学院生活が終わりかけの2012年3月に、東京に3週間滞在して、BGXさんでインターンシップを開始。認められたら働けるかもしれない! どうなんだろう?! ドキドキ。……だけど、ぜんぜん続かなかったですね。私にはパニック障害という疾患があり、少しでも緊張したり強く言われたりすると、呼吸が苦しくなってしまったのです。東京の雑誌制作の最先端、まるで料理の厨房のように激しく動き回るスタッフに厳しい指導……。予定の最後の日も迎えぬまま離脱です。帰る日に、当時入社1〜2年目だったスタッフ、赤波江春奈さんが体調を気遣うメールをくれたのにはすごく救われました。そして日下さんも、厳しいことは言いつつも最後に「またメールください」と言ってくれました。優しい。

最後の一言があったおかげで、そのあともけっこう日下さんとはメールのやりとりをし、デザインのことを質問したり、あと(この記事の中では初めて書きますが)日下さんはタイポグラフィへの造詣がものすごく深い方で……そうそう、芸新を集め始めた時期に、BGXさんがデザインした書籍「タイポグラフィの基礎」が発行されたというタイミングもあって、ファンになったのでした。……で、書体に関する情報交換をたくさんして、貴重なお話をいろいろうかがいました。

パニック障害持ちの私は、地元の旭川に帰ってデザインの会社に就職するも、やはり体調を崩して続かず……。転々としましたが、今の会社に入って3〜4年以上経ってからでしょうか。薬を変えたり自信を付けていった結果、症状はだいぶ落ち着きました。今はしっかりデザイナーとして地元で働いています(蛇足ですが)。

時は経ち2021年。 BGXの代表取締役が、先に書いた赤波江春奈さんになりました。日下さんは取締役に。赤波江さんはBGXのInstagramTwitterアカウントも開設。ふたたびBGXさんがなんだか身近になってきました。

さらに少し経ち、日下さんからメールが。その詳細はまだ書けないものの「あることを手伝ってほしい」という依頼のメールでした。プロジェクト的なかかわりです。「そんなことあるんだ!」って思いました。インターンしてから大体10年くらい経つころに、そういう形で声をかけていただけるなんて。その流れで、赤波江さんからもメールが届きました。読みました。いつからメール来てないんだろう?と思ったら、それこそひとつ前のメールが、インターン最後の体調を気遣うメールでした。うわー、すごいな! 10年ってすごい。

BGXさんはSNSのみならず、毎月広報誌ともいえるフリーペーパー「オリジナリ」を発行するという試みもはじめ、月1回ウチにも送ってくれます。いやー、ほんと、インターンシップでだめになったときは、これで全部終わりかなぁ……なんて思ったんですが、10年後にこういう感じで繋がるってなんだか不思議。それにワタシ10年間、ずっと芸術新潮のバックナンバーを見返してたくらい、そのデザインに魅了されてたので、良くも悪くも思いが通じた!?のかも(笑)。

人のご縁って素敵なものです。そのご縁を大切にしていく、ということをずっと忘れないようにしたい。

そして日下さん、赤波江さんには、10年以上もやり取りさせていただけることに感謝しかありません。ありがとうございます。そして今後も素敵なデザインを楽しみにしています。(おわり)

以下リンク↓
ビーグラフィックス
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日下さんのブログ「PAPERWALL | ブックデザイナー日下潤一の日々l」


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