氷野深霧(ヒノミギリ)
日々の生活のために商業的に書いたり、依頼されたりしている仕事の紹介と備忘録など。
趣味嗜好に極めて偏りのある私が読んだ本について書いていきます。
「ショートショート」とそのような断章など (2022.10 期間限定クリエイターフェス運営参加)
過去、現在、未来これから書く小説をご紹介していきます。より古いものは、冴生いずみ名義で以下のサイトでも読むことが出来ます。 http://tranquilizer.biz/self/novel-m.html
偏向報道によらない正しい情報の希少価値を知る。どちら側からも公平に聞くことが大事と悠長に構える暇さえないほど、時は一刻を争う惨憺たる状況。
胸が痛い、思わず手を当てる 音が割れるように身体に響き渡る、 体内からブワッと破裂するような感覚 耳がキーンと鳴る、無音、ホワイトアウト 息を飲む、秒読みで原爆を浴びる擬似体験 実際はこんなに甘くないと知りつつも ワナワナと震えが止まらない ドーンと重い、疲労感に包まれる 知は罪と識る 人は賢くなるほど愚かになってゆく矛盾 賞賛と許しは与えられた側のものではなく、 与える側が恩恵または容赦を受けるもの。 観賞直後、脳がうず巻く、 ヒンドゥー教の神「クリシュナ」の言葉
今SFを撮らせたら随一と称賛されるドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が手掛けた、昔から映画化が難しいと言われ続けている、待望の「DUNE/デューン砂の惑星」part2を雨の中ひとり見に行った。コロナ禍に加えハリウッドのストもあり、約半年ほど公開が遅れ、なかなか出掛けてまで見たい映画も少なかったので、久々期待を裏切らない内容で安堵した。エンタメや商業性を超越する思想と世界観、美術・デザイン性で続編が限りなく続こうとも格調高く、牽引して行って欲しい。 モノクロームで映し出される敵陣ハルコ
驚くばかりの博識で知られたというマルセル・シュオッブ(1869〜1905/享年37歳)は十九世紀末のフランスの作家。 礒崎純一氏の解題によると、シュオッブは死後、とりわけ戦後(第二次世界大戦後)の長らくは、ほとんど忘れ去られていた存在。それが、今世紀のあたま頃から実に目覚ましい復活を遂げたのだという。 目立たないながらも、大正期からこの名文家の誉れ高いシュオッブの作品には、日本の名だたる仏文学者や詩人、作家たちが、腕をふるってまさに「彫心縷骨」、洗練の極みを凝らして翻訳を
先月の中旬、脳梗塞で倒れた92歳の母が約3週間でめでたく退院となった。具合が悪くなるのは、決まって土日だったり、夜中から朝方だったり、急で突然なことが多い。 今回も金曜日までピンピンしていて、本人も食欲もあり、私に豆乳鍋まで作ってくれていて、翌日終日起き上がれないのがまるで嘘のようだった。 日曜の朝、また、起きようと頭を動かしただけで何も食べていないのに吐き気があり、身体の平衡感覚が無く動きが止まってしまう、本人は平気だと言い張るが、どうも怪しい普通じゃない、兄と私でなんとか
今年1月中旬くらいに初めて企画ご依頼いただいていた、新しい通販「かぜとゆき」の会報誌(vol.2)が運営会社 大和心の編集部より届きました。暮らし特集ページ内で「暮らしを豊かにする実用名品」について、ギフトコーディネーター冨田いずみとして取材いただいた内容が写真やイメージイラストと共に掲載されています。
見ようか見まいか悩んでいたけれど、 ようやく8日(金)の夕方ひとりで出掛けた。 前日に以下の対談を見て、やはり観ておこうかという気になったので、養老先生の言う、能における「祟り神」としてのゴジラを自分も感じられるか見てみたくなった。 山崎監督は核や戦争、天災などそういった「禍」の象徴としてゴジラを描くため、あえて終戦直後に時代設定したとのこと、良心の呵責に自分をせめ病む特攻青年の幻が肥大化し「怪物」となって眼前に現れる。非常に日本的な精神性が流れていて、静的な美しさが漂って
思考・嗜好とは不思議なもので、単に表紙やタイトルに惹かれて手にしたものでも、書かれている内容が前後に読むものとびっくりするほどリンクしていることが多い。それは私が学者の本を好んで選ぶことに起因するせいかも知れないが、全く前知識なく、初めて訪れた書店やWEBサイトでも起こり得るので面白い。 この新しい出版社「生きのびるブックス」から2022年11月に初版発行され、2023年2月既に第4刷りとなる藤原辰史の『植物考』。カバーを飾る美しい強さのみなぎる薔薇は自宅に着いてから石内都
とにかく最初は、その絵が綺麗で、その線の美しさに惹かれて、初めて入ってみた小さな本屋で、ドキドキして、少し店内が混んでもいたので、次に来た時に買おうと心に決めて、翌週またジムのプールの帰りにその本屋「本と羊」に寄ってみた。 土日に作者のイベントを控えてか、天井近くの壁にその「菓の辞典」のページが拡大され(原画だったのかも知れないが)、いくつかパネル展示されていて、つくづく素敵に思えて、すぐに1冊手にとって、もう1冊別の薔薇が表紙の本も気になっていて、2冊抱えたまま、ようやく
画家の山口法子さん、雑誌制作の久世哲郎さんが企画・編集された、日本国憲法の小冊子。扉を開くと、すぐに子規の歌に導かれる。 「真砂なす 数なき星の 其の中に 吾に向ひて 光る星あり」正岡子規 それぞれの書き手の話がまるで夜空に輝く一つの星のごとく、そっと読み手の心に光を灯してくれるような、そんな小さな本。人の気づき、道しるべ、星となるのは、まさに、こんな、わずかな枚数の紙片から成る小さな冊子からはじまるのだろうと改めて思わされる。 憲法を語ろうとすると、改憲か護憲か、右か
もともと本を読むのは遅い方だが、無駄な抵抗のように理解しようとして読み挑んでいるような場合は、今回のようにさらに遅くなってしまう。まだ、現時点で第Ⅰ部しか読めていない。わかるとわからないに関わらず、時々賢者の言葉で脳味噌を浸し洗い流したくなる習性がある。この本も正直なところそんな具合で、Amazonのおすすめに上がって来て、表紙の蝶に惹かれてつい手をのばした感が否めない。 「・・・人びとが未来に確実性を求める根拠は、神学的なものでも、政治的なものでも、科学的なものでもありう
やはり、どんなニュースよりも彼の言葉が響き、伝えなければならないという気持ちになりました。
有栖さんは、とても小柄で華奢な女の子で、大きな瞳がいつもキラキラ光る笑顔が素敵で、心の綺麗さが透けて見えるように美しく、しかも頭が良く控えめで、まったく、非の打ち所の無い人だった。いや、こんなに完璧な人が普通にいるわけはないし、まして、自分の一番の友達だなんて、信じられないことだった。実際、やはり僕らと同じでないことは、ようやく最近わかったのだけれど。 好きなものは恐竜と椅子だって、みんなの前で公言していた。どっちも形が魅力的なんだと、夢見るような表情で少し赤くなりながら熱
体調を崩していたため、9月の初めに母と観に行く予定が、1週遅れて11日に独り鑑賞となり、昼上映している映画館がもう博多駅のシネコンではなく、昔ながらの名画座的な中洲の大洋となり、もともとレトロチックな小ぢんまりとした好きな所ではあるのだけれど、ことこのいかにもハリウッドらしいピンク満載のカラフルなアートビジュアルは大画面でこそ味わいたかった。主演の二人の演技には定評があり、その点では裏切られることなく、いかにも人形らしく素晴らしかった。 昨今はエンタメにも社会性、多様性の介
今世紀も未来も文学を諦めたくない、見限りたくはないから、最近出版されたものでも台湾や中国、メキシコ、南米、アフリカなどでは良い作家や作品にも出会えたので。前回までの落胆が大き過ぎたので、本当にすがるような気持ちで、このイスラエル短編傑作選を手に取った。 もちろん古典(旧約聖書や民話)由来のスピンオフやショア(絶滅政策)やキブツ(生活共同体)経験者となれば前世紀からの作家がほとんどだが、希少な優れたオリジナルのアンソロジーで、やはり海外文学は翻訳者の手腕に拠るところが非常に大
もっともらしい言葉が綴られるが、騙されてはいけない。『夢』はそう簡単には操れないからだ。巨匠たちには遠く及ばない、ここで彼等の名を挙げないのは、一緒に論じては、その名を穢してしまいそうで申し訳ないし、はなはだ悲し過ぎるから書きたくない。 「夢だけが、古いものを閉じて新しいものを開いてくれる。」 「夢にはいつだって意味がある。夢はけっしてまちがわない。現実世界は夢の秩序にはとうていおよばない。」 「夢は、この世界で所有権の及ばない唯一のものだ。この地上のどこであろうと、眠る人