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朝日ウルルン滞在記〜ベトナム編2〜EP3.当たり前が世界を変えた。


この旅の試練が始まった。

「ハッピーニューイヤー!」の花火に見惚れてウキウキ。神社にお参りにママとリンと行こうかと話していた時、大雨になった。

ベトナムについてからは雨と晴れが短時間で繰り返されていた。天気も気温も変わりやすい土地だ。

雨だからお参りは中止。近所を回ることになった。
近所はほとんど親戚だ。ナムのお父さんは8人兄弟で、そのうち6人はフートにいる。6家庭+独立した孫の家庭など全てを回ることになった。

昼間から続く宴会でお腹の隙間は無い上に、日本からきたゲストである私とのナムリンを介しての話や、ゾォ!の乾杯でそろそろ眠くなってきている。それなのに、これからまた食事やお酒を飲み続けなければならない!!


やばい!!食べるの飲むの大好きな私でも、どこの家でも同じメニューの品物たちを口にし続けなければならない!!幸せ過ぎるのかもしれないが、完全に試練だ!!

まずは、前の家。年の近い綺麗な姉妹とちび2人がいる。先程までの宴会にも来ていた家族だ。
はじめましてのおばあさんに会った。もはや関係性は覚えられないので聞かない。
カムーン!を繰り返し、酔っ払いたちが早口で話すベトナム語を聴きながらなんとなく、楽しい話か真面目な話かを判断して会話に入る。
ふと横を見ると、リンの顔は死んでいた。完全にお嫁の修行である。旦那さんの親戚と眠い中会話をし、必ず用意や片付けは手伝わなければならない。
「リン大丈夫?」と耳打ちすると、「大丈夫大丈夫。」と繰り返した。




ベトナムは、特に田舎のフートは未だに男性の仕事、女性の仕事、と立場がはっきりしていた。救いがあるのは日本のように男性が女性を"使う"という雰囲気はないことだったが、それでもみていて大変だった。
でもきっと、それは私が日本で育ち、その文化がない都会っ子だからなのかもしれない。彼女たちはその立場を辛いとは感じていないようで、ただリンは結婚という違う生活に対する苦労を嘆いた。


「女の子でよかった?」
問いかけるとリンは黙った。そんなこと今まで考えたことがないからなのか、それとも女の子の息苦しさを感じているからなのか。この沈黙に私は意味を捉えられなかった。

もし、この中でフェミニズムという考え方を持っていたら、その人は苦しくなるかもしれない。でもここにはそれがないから、幸せなのかも。知らなくていいことも、いつもは敵にしているそれが当たり前という文化も、悪くないと思わせてしまうほど彼女たちが幸せに見えて私は胃が少し痛んだ。


いや、そんなこと。考えなくてもいいじゃない。今くらい。

テトという晴れの日にこんな問いかけをする私が野暮に思えて、話題を変えて私たちは違う家へと向かった。

それにしても、ナムはこの故郷で立派な大人の"おじさん"であった。

酔っ払いなのもあるが、膝に手を置き、手振り身振りでいとこだけでなく、歳上の親戚をも論破する。内容を聞くと、日本に留学するいとこに対してそれで大丈夫なのか?という言葉や仕事に対する考え方など、様々に語っていた。英語を習っているいとこのちびと私を英語で話させて、夜中に英語練習。まったく、その子からしたら迷惑な叔父さんだ。
ナムはきっと、日本で出稼ぎをして家族を支え、結婚して、みんなにとっては一目を置く存在なのだろう。そんな彼を妻になったリンは誇らしげに見守り、私はそのふたりの自慢の友達でいられるよう振る舞った。

1月1日の夜は長かった。飲み疲れた私たちは知らぬ間に眠りについていた。


それでも朝は早い。
近所を回らなかったママはチャキチャキと朝ごはんを作る。フートの食事は沢山の野菜や果物、脂肪が一切ない肉ばかりで、沢山食べても数時間でその大量に口の中へいれたものたちはすっきりと無くなる。サイゼリヤのごはんみたいに夜中まで残らない。
だがしかし、動いていないから太るばかりだ。

朝ごはんは延々とパクチーと鶏肉を食べた。


昨日の疲れからか、みんな昼寝を始めた。
その間私は風に当たりながらnoteを書いていた。

物音がする方を見ると、ママが起きてきて私に「あら〜起きてたの〜」のようなことを話しリビングの椅子へ座った。
私も前の椅子に座ってみる。が、勿論会話はできないけど、ママとはなんとなくいつもコミュニケーションが取れる。ママは元々、心を開くのが上手な人なのかもしれない。

私に身振り手振りで、「身体が痛いよ」と肩や腰を叩いて笑って見せたので私は、「そこに寝て!」と言ってみた。私が立ち上がり近づくと、彼女は横になった。スムーズに会話が成立した快感があった。

身体に触れる。ただ手を当てるだけでも人間は皮膚と皮膚でコミュニケーションが取れる。マッサージなんてその人の痛いところはどこかを触ることで理解するため、コミュニケーションを取る手段として一番なのであると大学時代に教わった。

その二人だけの時間は不思議な空気が漂って、まるで日本の季節の変わり目のような匂いがした。気が揺れて葉が重なる音が高い天井に響く心地よい時間。ママの身体は小さくて柔らかい肌をしていた。腰を優しく押してあげると気持ちいい!というような言葉をくれた。


パパは私たちの姿をみて笑いながら近づいてきた。

マッサージを終え、ナムリンも起きて5人でテーブルを囲む。たばこを吸ったりポツポツと話しながら果物をママが剥いて食べたりと、お正月の午後を過ごした。

夕方、ナムのおじいさんの兄弟の家へいとこたちと向かった。
ナムが運転するバイクにリンと私で3人乗り。
小雨が降る中、いとこのスクーターと勝負をして走った。
ナムのバイクに乗るのが好きだった。
運転は荒いけど、なぜか安心感がある。ベトナム語と日本語で叫びながら、田んぼや畑や泥水が溜まった道を走ると、日本に置いてきた嫌なことは全て忘れられるのだった。


結局、この滞在は宴会がつづく。私はたぶん今回で酒がだいぶ強くなったと思う。でも、フートで飲んだお酒は不純物が一切ないから気持ち悪くなったり、頭が痛くなることは無かった。
ナムのいとこは私に懐いて、部屋に入ると覗きに来たり、ほっぺにキスされたり。
フート最後の夜の宴会は、ナムの家で。パパは今までで一番酔っ払って、英語で私に沢山話しかけてくれた。
「あなたは私の家族です。」
と、テトの風習であるお年玉交換をした。いつでもベトナムへ来てくださいと言ってパパはハグをした。

フートを出る朝。
まるで、今までも私はここで生活していて、そして、いつも通りの朝食がこれからもずっと続くような、そんな気持ちになるくらい5人の食卓は当たり前のようだった。

当たり前に。ただ食事をする。
当たり前に。お正月を祝う。
当たり前に。一緒に時間を過ごした人を家族だという。

ここにある当たり前は、私の幸せの価値観を、人とのコミュニケーションを、世界を変えてくれた当たり前である。


別れ際の、"カムーン"は沢山の愛を込めて
二人に送った。


ナムリン私の車内。今日のリンはテンション爆上げ。
これからダイグエン、リンの実家へ向かうのだ!
テトの曲が爆音で流れる。
3人だけの1時間半。お喋りが止まらない!


次回へつづく。

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