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光になれるとすれば

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数年前、トモのライフストーリーを記事にしてもらいました。見出しはこう。


次は僕が「希望の光」になる番


キラキラした一文。同時に、この一文を読むと、口元が引き締まります。


本気で、誰か一人の光になりたいなら、相手の「今」をみとって、見せつけでなく、一つずつ、背中を押すことが大事だと


色んな人たちに教えてもらいました。



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病気の話をします。


トモが発症したのは、「レーベル遺伝性視神経病」というミトコンドリア病です。


この病名から察するべきことはいくつかありますし、病名を記事やSNSに出すということはどういうことか。(もちろん私も考えるべきことです)


それは、同じ病気の人と出会う確率を高めることでしょうし、トモ自身も望んでいることではあります。


同じ病気の人と(出)会うということは、見えにくいままに生活をよりよく営む上で、必要となるものを"もらう"場、"わたす"場にもなりえます。


トモも病気になって7年が経ちました。伝えられる(伝えたい)工夫も、積み重なってきました。


でも、何を伝えるかは、相手の「今」によっても変わります。


二年前、トモの病名を知った知人とSNSの繋がりで、私はトモと同じ病気の女の子と食事をすることになりました。


会う前に二人で、「何か伝えられたらいいね」という漠然とした会話をしたのを覚えています。


ですが、会った結果。私たちが伝えられたことは、拡大機器のことでも、携帯のアクセシビリティのことでも、視覚障害者スポーツのことでもありませんでした。


レーベル病を発症したばかりで、口数の少なかった彼女を前にして、少なくとも「何でも聞いて」という投げかけでは、考えが足りませんでした。


彼女との初めての食事。大事にすべきは、自分の食べたいものが一緒に選べること、「自分でやる」という意志をつぶさないこと、だったように思います。


いつもよりゆっくりメニューを読み上げて、トモに沢山質問をしてもらいました。


今思えば、「私はこれを食べたい」と自分たちのおすすめを伝えていても良かったかもしれません。


彼女はお母さんと一緒に小さな声でメニューを決めました。


トモは、飲み物を取りに行ってほしいと私にお願いをします。「頼み上手」なのはトモの良いところですし、そういう方法もありです。


一方、「頼み下手」な私からすると、初対面の人に飲み物を頼むなんて、きっとしないでしょう。


彼女に一緒についてきてもらいました。


想像がついたかもしれませんが、場所はファミレスです。座席の数が限られていますし、人混みを掻き分けるという場ではないです。


彼女の前で私がシャンと歩けば、店員さんは避けてくれます。(それは勝手な考えだと思われるかもしれませんが)場の性質はあります。


手引きなしで歩くのは、当時の彼女にとってもなかなかない時間でした。


コップを渡して私が何を喋ったかは覚えていませんが、「〇〇もあるね」「この辺、炭酸だけど苦手なんだよね」みたいなことを言うんだと思います。


「何がいい?」に代わる言葉(というか、これを省略できる言葉)を使うことが、トモと過ごす私にとっては楽です。


飲み物は溢れたようでしたが、それを私が見る必要もなく、準備ができたらまたシャンと席まで帰る。


彼女との初対面は、非常に言葉少なく、穏やかに過ごしました。


会う前の意気込みに反して、"タメになること"は、多くは伝えられませんでした。


次また会えることが大事でした。


帰り側に一つお願いをして、「名前の漢字を教えて」と、紙に書いてもらいました。


彼女の字は、とても丁寧で綺麗な字です。


「書ける字は、読める字」だと伝え、自分の書いた字(の大きさ)を見てもらいました。


次会った時に、続きの話をしたいという願いをもって、お別れをしました。
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彼女と会ってみて、会えば「希望の光」になれるかも、なんて難しい話と思いました。(例え同じ病気でも。)


それでも、彼女は会うことを続けてくれて、私たちの支えになっています。


希望の光は、どちらなんでしょう。


さあ、年が変わる。文字を残してきたからには、出会う人に何か残せる振る舞いを、トモと今後も考えていきます。


#ロービジョン #視覚障害 #障害 #レーベル病


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