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チャップリン特集

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記事一覧

【第一回】チャップリンが生きた道〜チャップリンとの出会い

私が初めてチャップリンを知ったのは小学4.5年生だったと思う。映画やテレビで知ったのではなく、小学校の図書室に置かれていた一冊の本がきっかけだった。 その本とは「伝記 世界を変えた人々」というシリーズで、数々の偉人の本が並んでいる棚にチャップリンがいたのだ。 当時、このシリーズ本が好きでヘレンケラーやナイチンゲールも借りた記憶がある。その中でも見知らぬ道化師のようなイラストが描かれたジャケットは、小学生だった私に衝撃を与えた。 結局、誰なのかよく知らずに借り、さらに返却

【第二回】チャップリンが生きた道~幼少期から俳優を志したきっかけ

チャップリンことチャールズ・スペンサー・チャップリンは、1889年4月16日にイギリスにて誕生。父・チャールズ・チャップリン・シニアと母・ハンナ・チャップリンの間に生まれた。チャップリンには4歳上の異父兄・シドニー・チャップリンがいる。 ちょび髭姿のコメディアンとして世界に名を広げるチャップリンは、俳優、監督、脚本、映画プロデューサー、作曲家と、多岐にわたって活躍した。 映画史に残る作品を次々と生み出したチャップリンの幼少期は、貧困や母親の病気など困難が続く生活を送ってい

【第三回】チャップリンが生きた道~放浪紳士の誕生秘話

チャップリンの銀幕デビュー作は、1914年2月2日公開の短編サイレント映画「成功争ひ」である。本作でのチャップリンは放浪者の扮装ではなく、フロックコートにシルクハットを被り、どじょう髭姿のペテン師役で登場した。 「成功争ひ」では初登場ということもあり、いつもの放浪者姿のチャップリンはまだ誕生していなかった。放浪者チャップリンが誕生したのは、出演作2本目の1914年公開「メイベルのおかしな災難」の撮影中だった。チャップリンはセネットから、急遽おもしろいメイクをするように言われ

【第四回】チャップリンが生きた道~映画製作における信念

これは、前回の記事で引用したチャップリンの言葉である。 笑いに、ほんのり寂しさを加えて、心温まるストーリーを作るのがチャップリン流だ。 キーストン社からエッサネイ社に移籍してから、過激な放浪者から穏やかな放浪者へとキャラクター像を変更。これによりチャップリンが描く映画は、人の心に響く作品へと発展した。 エッサネイ社時代の「チャップリンのチャップリンの掃除番(1915)」 エッサネイ社からミューチュアル社に移籍したチャップリンは、年収67万ドルという多額の報酬で契約し、

【第五回】チャップリンが生きた道~私生活と映画製作に与えた影響

人は有名になればなるほど、スキャンダルはつきものである。チャップリンも例外ではなかった。 チャップリンは生涯で4人の女性と結婚をしている。一番最初の妻はミルドレッド・ハリスは結婚当時17歳だった。「担え銃」を撮影中にハリスの妊娠が明らかになり、チャップリンは1918年9月23日に急遽結婚した。ところが、ハリスの妊娠は虚言だったことが発覚。 スキャンダル対策(「できちゃった婚」の報道による人気低下を恐れていた)もあり、やむなく大急ぎで結婚したチャップリンだったが、妊娠してな

【第六回】チャップリンが生きた道~作品紹介

これはチャップリンの有名な言葉だが、実は母ハンナの言葉でもある。 チャップリンの作品がこれまで愛されてきたのは、シンプルに「前向きになれるから」と言える。 貧困でボロボロの服に身を包み、孤独に彷徨うちょび髭の放浪者は常にポジティブだ。家や食べ物や仕事がなくても、苦しい生活なりに楽しく過ごし、愛する人に一途に尽くす。 作中の放浪者チャップリンは、不幸な状況をネガティブに捉えていない。たとえ落ち込んでも「まあ、何とかなるさ」と立ち直り、深く考えずに生きている。 「モダン・

【第七回】チャップリンが生きた道~愛した女性たち①~

チャップリンの二番目の妻はリタ・グレイ(本名 リリタ・ルイーズ・マクマレイ)という女性である。 1924年にチャップリンとリタは結婚をした。当時のリタの年齢は16歳という若さであり、最初の妻ハリスと同じく妊娠をきっかけに結婚することになる。(後に、前妻ハリスの妊娠は虚言だったことが発覚するが) カリフォルニア州法では未成年者と関係を持つと強姦罪にあたるため、チャップリンは結婚せざるを得ない状況となり、1924年11月26日にメキシコで結婚式を挙げた。 リタは12歳の頃に

【第八回】チャップリンが生きた道~愛した女性たち②~

チャップリンの3番目の妻は女優ポーレット・ゴダードである。 ポーレットとは法的な結婚はせず事実婚であったが、6年間パートナー関係を築き上げており、チャップリン自伝では妻と記載されている。 チャップリンの作品には「モダン・タイムス(1936)」「独裁者(1940)」に出演。チャップリン作品以外でも出演しており、「セカンド・コーラス」ではフレッド・アステアと共演している。 非の打ち所がない綺麗な顔立ちであり、未成年者だった前妻2人とは異なり成人女性である。 「モダン・タイ

【第九回】チャップリンの生きた道~短編・中編映画から長編映画製作へ~

本記事は【第五回】チャップリンが生きた道~私生活と映画製作に与えた影響の続きです。 チャップリンは「キッド(1912)」以降、短編・中編映画「のらくら」「給料日」「偽牧師」の3作品経て、本格的に長編映画に軸足を移すことになる。 さて、チャップリン長編映画の話の前に、「のらくら(1921)」「給料日(1922)」「偽牧師(1923)」の話をしよう。 こちら3作品はファースト・ナショナル社時代の作品である。 「のらくら(1921)」を製作する前から、チャップリンは自身の映

【第十回】チャップリンが生きた道~サーカス編~

「黄金狂時代(1925)」の次に手掛けた作品は「サーカス(1928)」である。 本作はタイトル通り「サーカス」がテーマであることから、体を張ったシーンが多く、スタントは一切なしで撮影されている。 例えば、綱渡りをするシーンやライオンの檻に入れられるシーンもスタントなしである。 チャップリンの恋敵レックス役を演じたハリー・クロッカーと共に、何週間も綱渡りの練習をした。 なんと、綱渡りのシーンは700回、ライオンの檻に入るシーンは200回もの撮影に至った。 「サーカス」

【第十一回】チャップリンが生きた道~街の灯編①~

「サーカス(1928)」の次の作品「街の灯(1931)」について紹介していく。 チャップリン映画史上「ロマンチックで笑いと涙がこぼれる一作」として大きな評価を得ており、公開後すぐに大ヒットを収めた。2005年の米タイム誌の「ベスト映画100本」に選ばれた映画でもある。 これまでも心がほっこりするような作品を生み出してきたが、「街の灯」は群を抜いて人の心に働きかける作品となった。 本作は放浪紳士チャップリンが恋した、盲目の花売り女性のために、汗水たらしながら目の治療費を稼

【第十二回】チャップリンが生きた道~街の灯編②~

前回の記事に続き、チャップリン長編映画「街の灯」について書いていく。 前作「サーカス」ではリタとの離婚訴訟や、4週間撮り溜めたフィルムが使用できなくなる、スタジオが火災になるなどの不幸が続いた。「街の灯」の製作も容易ではなく、約3年間もの製作期間を経て映画公開された。 まず、チャップリンの完璧主義な性格がよくわかるエピソードから話していこう。 チャップリンと盲目の花売り女性の出会いのシーンは、342回ものNGが出た。3分ほどの短いシーンだが、撮影日数534日のうち368

【第十三回】チャップリンが生きた道~モダン・タイムス編①~

「街の灯(1931)」の次に製作された映画「モダン・タイムス(1936)」は初めてチャップリンの声が披露されたパート・トーキー映画である。 ただし、セリフはごく一部で、本編のほとんどは音楽と効果音である。すでにトーキー映画が主流だったため時代遅れと言われたが、後に「黄金狂時代」「街の灯」に匹敵するほどの傑作映画と呼ばれている。 さて、本作の最大のテーマは「資本主義社会」「機械文明」への鋭い社会風刺である。 チャップリンは1931年から18ヶ月に及ぶ世界旅行をきっかけに大

【第十四回】チャップリンが生きた道~モダン・タイムス編②~

前回の記事ではモダン・タイムスのテーマである社会問題に触れたが、本作は単純な社会風刺映画ではないことも伝えておきたい。 チャップリンと言えば、どれだけ思想が強い作品であっても根本的に「人を笑わせること」を重視しているコメディアンだと忘れてはならない。 チャップリンがモダン・タイムスを通して観客に伝えたいことは「笑顔の大切さ」だったと思われる。 そう思う理由として、最後のシーンで挫折ばかり繰り返し険しくなる顔の少女(ポーレット・ゴダード)に対して「笑顔で」という言葉を掛け