えみり

「私と出逢ってくれてありがとう」そう彼女は言った。
彼女からの着信はそれが最初で最後だった。

いつも連絡は私の方からだった。
甘えることを知らない、甘えられない女の子。

酷い苦しみに耐え切れず漏らす本音のツイートの数々に
私の目が止まったことが、彼女との出逢いだった。

当時、児童養護施設に入所したばかりの高校2年生の彼女だった。
そこから彼女が20歳になるまでの数年、
彼女と実際に会ったのは、ほんの数回だった。
横浜に住まいがあった私は、新幹線で彼女に逢いに行った。

とある見知らぬ駅で待ち合わせ。私は彼女の顔も知らなかった。
星乃珈琲店で、「どれでも好きなの選んでいいよ」と私は言った。
彼女は嬉しそうにデコレーションの期間限定のパンケーキを選んだ。

彼女から色々な話を聞いた。
「また絶対に逢いに来るからね!」と言って、私と彼女はその駅で別れた。

次に会ったのは別の駅だった。
彼女の希望であるレストランに入った。
「ここ、ママとよく来たんだ〜」と彼女は言っていた。

遠方に住んでいるので、施設に入所している彼女には、
遠方からの連絡しか出来なかった。
事情があって、施設を変わる時は、家で使っていないテレビを送った。
「部屋にテレビが欲しい」と彼女が言ったからだ。


「私、もう逝くから」と最初で最後の着信で彼女は言った。
「待って!ダメだよ、やめてね。絶対ダメだよ!」
私はそれ以上、何を話したか覚えてはいない。
たまたま京都に旅行に来ていた。

それまでも何回かODで彼女は救急車に運ばれていた。
彼女の心の痛みや叫びは、そのような形で現れた。
久しぶりの彼女からの、そして初めての着信に
私はどれ程心を寄せることが出来ていたのだろうか。。。

着信の翌日、施設の先生からメールが来た。
「彼女が亡くなりました。明日、お葬式です。出席されますか?」
と言った内容のものだった。

それを見た時の自分の感情や背景は今思い出すことが出来ない。
その日、横浜に帰る予定だった私は、「はい、出席させていただきます。」と返信し、京都に一日滞在を延ばした。


慌てて黒のブラウスを買って、知らない土地にあるその式場に向かった。
棺の中に眠っている彼女の顔はとても綺麗だった。
「今までよく頑張ったね。偉いよ。」
私は何度も何度も心の中でそう伝えた。

彼女は重い耐え難い苦しみから解放された、と思ったのも私の本心だ。
式場では、彼女が求め続けていた実の母親が泣いていた。
彼女からしか話を聞いていなかったので、「本当に悲しいの?演技??」とさえ思った。
隣にその母親の背中をさすっている大柄の男性が居た。
彼女の義父だ。
私は、参列席の後ろの方からその二人をずっと睨みつけていた。
「お前だろ、彼女を苦しめたのは!」私はその義父に怒りの気持ちが抑え切れなかった。
そして、出棺の時、初めてその実母に私は言った。
彼女はお母さんのことを心から求めていました、と。
伝えずにはいられなかった。


あれから数年。私はまだ彼女の死を頻繁に思い出す。
悲しみを一気に吐き出すと言うより、じわじわとずっと持ち続けている。
彼女の死は、彼女の命は、人生は、何だったのだろう。

ホッとしたような表情で眠る彼女と、
「ママ」を求め続けていた彼女が美味しそうに悲しげに食べていたその表情が交互に脳裏に巡る。


克服なんて出来ない。
彼女のことを色々と考えた数年と最後の声。

「私と出逢ってくれてありがとう。」
それが唯一の私への救いだ。
こちらこそ出逢ってくれてありがとう。

そして、ごめんね。


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