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MIHOのプロフィール

私について

料理家・国際中医薬膳師 1973年東京生まれ
20代で料理研究家のアシスタントをつとめ、その後独立
商品開発・レシピ執筆・料理撮影・監修・料理教室運営など
2021年に福岡県に移住

料理家の仕事をしていながら、家庭での料理作りにことごとく苦戦した経験から、料理に対する考え方や、家庭の味を作ること、夫婦のコミュニケーションについてなど、夫婦が幸せになるための食卓にまつわる話を配信しています

オンラインプログラム「À TABLE 365 食卓からはじまる夫婦の新しいスタート」主催(準備中)
「À TABLE !」とは仏語で親しい人に呼びかけるごはんの合図。50代を迎えた今だからこそ、こんな温かい言葉で始まる食卓を大切にしていきたいと思っています
人生後半戦、これからの夫婦の関係やあり方、食事作りやコミュニケーションに悩む方の力になれるようなプログラムを準備中です。

料理は誰のため? 家庭のごはんとは

炊き立てのごはんに納豆、キムチ、夫の好きな卵を落としたお味噌汁。
それに少しのおかずか簡単なサラダ。

我が家ではこんな簡単な夕食の時もあります。
でも「今日はこんなことがあった」とか「このキムチおいしいね!」とか
「今度の休みはどうしよう?」とか毎日色々な会話をしています。

でも以前からそうだったわけではありません。
仕事が忙しかったこともありますが、
別々の時間にそれぞれ好きなものを食べ、
たまに一緒に食べるときでも会話らしい会話はありませんでした。

たまに鍋をやっても「俺は鍋は好きじゃない」
「ぬるい」「薄い」「俺はいらない」のオンパレード。
頭にきて土鍋を全部捨てたこともあります。

私は食べることも料理を作ることも好きです。
料理家ということもあって料理の腕には多少の自信がありました。
でも夫は私の作る料理を好きになってはくれませんでした。
それどころか、何を作ってもことごとく「好きじゃない」「おいしくない」と言われ続けました。
一度も「おいしい」や「ありがとう」などと言ってもらったことはありませんでした。

そのうち
「この味がわからない夫の味覚がおかしいんだ」
「ジャンクフードばかりとってきたから、おいしいものがわからないんだ」
と夫の感覚を下に見るようになっていました。
どうしたらいいかわからなかったので、そうすることで自分を保っていたのです。

そして私は家ではまったく料理をしなくなりました。
自分自身や私が今までやってきたことを全て否定されたようで、強い怒りと悲しみがありました。今思えば、とてもとても深く傷ついていたんだと思います。

そんな私がなぜ再び家で料理をするようになったのか?

それは大切なことがわかったからです。

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