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居場所がない、と思う時

みんなが大勢集まる場で一人になってしまったり、大人数の飲み会の後、どっと疲れてしまったり、何人かでやりとりするLINEで、自分の発言の後に会話が続かなかったり。

周りが楽しそうにしている中、なかなか自分の気持ちが追いつかない時「あ、ここ自分がいるべきとこじゃなかったかも」と思ってしまうことはちょこちょこある。

どうして私は楽しめないのだろう。強制されている場でもないのに、無理して疲れているのってなんでなんだろう。頭の中で被害妄想を繰り広げていると「そもそも私は、楽しもうとしているのか?」と疑問が浮かび上がった。

誰かが話している時は、とにかく相槌にまわることが多い。聞きたいことが浮かんでも、質問するタイミングや間合いがいつも悪く、他の人の声でかき消されてしまったり、変に会話を止めてしまったりするからだ。

でもそれって、どこか怠けているというか、積極的に関わっていこうとしていないよなぁと思った。

うんうん、と話を聞いていれば、嫌われるリスクは回避できる。その代わり、好かれたり、「一緒に話している」という感覚を持ってもらうこともなくなる。

嫌われるリスクの代わりに失う代償が「居場所」なんだろうな、と思う。LINEでも、自分で会話が止まるのを心配して何もしないと、そこに存在しているかもわからないし。

周りの反応を考えすぎて消極的になることは結局、自分の居場所を自分で壊しているのだろう。

自分が気にしているほど周りは私を見ていないし、すぐに攻撃をしてくるほど怖い人もいない。被害妄想は妄想の範囲を越えないものだ。

誰も設定していない、自分だけが決めた責任や恐怖によって自分の居場所が削られていくのは、完全な悪循環。それで悲しんでいても、周りにはどうすることもできないよなぁ。

もしも、万が一、自分によって雰囲気が悪くなるようなことが起こったら。被害妄想が現実になってしまったら。その時は素直に、「ごめんなさい」って言えばいいじゃないか。

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テーマ #居場所のなさ


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