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ラベリングされる安心感。HSS型HSP

決めつけられたくはない一方、名前を付けられると安心することもある。

大勢の飲み会の最中はそれなりに楽しいのだけど、帰ってきた後にぐったりして虚無感に襲われるほど疲れるとか、一人旅が好きで、一見危なそうなところにも行くのだけれど、出発前は相当不安になったりとか、自分の性格が未だにわからない。

よく「社交的」「行動的」と言ってもらえることも多いのに、行った先で臆病になっているのであまり同意ができないし、周りの人の感情が自分に移ってきてしまいがちなので、怒っている人やイライラしている人のそばにいるとやりきれなくなる。

今までは「自分って正体不明だよなぁ」で終わっていたこの性格に、今日やっとあてはまる性質の名前を見つけた。それが「HSP / HSS型」だ。敏感で繊細なHSPに、好奇心旺盛のHSSという反対の性格が共存していて、その感情の振れ幅が大きく疲れやすいのだそう。

参考文献)


「人見知りなのに社交的だよね」はずっと言われていて、自分でもどっちなのかよくわからないまま過ごしてきた。時には、「この多重人格はAB型の特徴(自分がAB型だから)だ」と思っては、「AB型は自分の多重人格な部分に疲れてしまい、寝る時間が多い」なんていう、どこが情報源かわからないことを本気で信じた時代もある。


けれど今日、ゆうすけ先生に最近の自分の話をしてようやく、自分の性格は「HSP / HSS型」であることに気づけたのだった。

自分だけがよくわからない性格をしているのだと思っていた中で、これはきちんと社会的に存在する特性であることに気づけて、心に詰まっていた何かがすっきり洗い流されたような気がした。自分だけが「何かおかしい」わけじゃないんだ、この性格が「悪」なわけじゃないんだと思うと、世界に少し認めてもらえたような気持ちになった。

「よくわからない人間」じゃない。私は一人じゃない。大げさかもしれないけれど、漠然と不安に思っていたことが1つ、解消される瞬間でもあった。

「あの人はこういう人だから」と、決めつけられてしまうことを嫌がる人もいる。時には私も、嫌がる人の1人になることだってある。けれど、どの属性にも存在しえないような、未確認生物"私"でいることは、実はかなりの不安を抱えることになってしまう。どこにも属せない、オリジナルの"私"に名前が無いと、世間から認められていないような感覚にも陥ってしまうのだ。

今回、そんな"私"にようやく名前がついた。近い傾向を持つ人がいることを知った。なんだかそれだけで、自己分析が格段に進んだような気がする。おかげで、「生きづらい」と感じている部分のケアができるのだ。

ちなみに、もともとHSPという名前は何度か耳にしたことがあった。「自分はHSPだった」というブログも読んだことがあるし、一緒にご飯を食べた人がそれだったこともある。けれど「もしかしたら私も……」とならなかったのは、その特性をもつ自分が無意識に存在し、この特性に名前があると思ってもみなかったからだと思う。人の経験を自分に当てはめて、「もしかしたら」と考えることは、実は結構難しいのかもしれない。

そんな時に、自分の嫌な時、疲れる時や好きな時を共有したり、どんな点で悩んでいるかを専門の人に聞いてもらって、その特性を言い当ててもらうことで気づくきっかけを作ってもらえるのだと思った。知識や経験をもった信頼できる人に言ってもらえると受け入れやすい。そして、その特性に気づけば自分でコントロールできる幅が広がる。気づくことは、生きづらさを無くす第一歩になるだろう。

自分はダメだとか、「自分から見た自分」ばかりに気を取られずに、客観的に自己分析をしていきたい。


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