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へこまないために。完璧な目標よりも最低ライン

どんな形であれ発信をしていると、毎回必ず反応をくれる人・たまに「よかったよ」と言ってくれる人・そして全然反応を示さない人の、3パターンの人間が存在する。

「毎回反応をくれる人」は、私にとって安心をくれる人。いつも気にかけてくれているような気がして、「こんなことでも言ってみていいのかもしれない」と思えるようになる。

残りの2パターンに出会うと、いつも少しだけへこんでいた。“いてもいなくてもいい人”の烙印が押されたような、自分の存在を消し去られたような気がして少しさびしくなるのだ。

けれどその考えはあまりにも極端で、「常に自分を見てほしい」という強いエゴの表れなのだろうなぁと思った。

自分のまわりに10人の人がいたら、自分のことを好きになってくれる人が1人いる。嫌いになる人が2人いる、残りの7人は状況次第で敵にも味方にもなる。

人間関係にある、この「7・2・1の法則」はまさに、上記の状態にも言える。10人に発信したら、いつでも回答をくれる人が1人、否定的なスルーが2人、内容次第で変わる人が7人。自分がどうこうではなく、その時その人が「いいな」と思えば反応が返ってくるし、どちらでもなければ返ってこない、ただそれだけのことだ。

「7人」からの支持は内容によって大きく変わる。それはある意味、「相手に本当に伝わっているか」の大きな指標にもなると思う。いつでも回答をくれる1人は安心をもたらす代わりに、いつでも同じ反応のため1つ1つ、個々の反応が見えづらい。けれど「7人」はそれぞれの内容に対していい、悪いを判断するため、何が周りに受け入れられるかがわかりやすい。

自分を無条件で愛してくれる人も必要だけれど、その時そのタイミングで「いいよ」「わるいよ」と適切な判断をくれる人もまた必要だ。そんなふうに思うと、「反応が無いとき」は自分の存在意義を疑うのではなく、単純に「あ、刺さらなかったんだな」と思うだけで問題ない。決して自分という存在を否定したり、けなしたりしているわけでは無いのだ。

些細なことで傷つく人は、「みんなに愛されたい」とハードルを高くもつことよりも、「7人」のうち1人から反応をもらいたい、と最低ラインを決めておいた方がいい。完璧をめざす減点方式ではせっかくできたことにも目がいかずに終わってしまう。なんだかそれは、すごくもったいないような気がするのだ。

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