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子のはなし

少し前から夜ご飯の時間にドラマ『コウノドリ』を見ている。

ドラマの中では、妊娠中や出産時の病気、アクシデント、出産後のトラブルなど、想像したことのない展開が繰り広げられ、出産は本当に奇跡なのだと思い知らされるばかりだ。

以前、友人にインタビューした時も、みんなが何事もなく出産できるって当たり前じゃないんだと痛感した。母になろうと決めた人は、自分の命が危険になる可能性があるうえで、それでも子どもをもちたいと頑張る。出産を経験し、「母」となった人の偉大さを、今更になって感じている。

ドラマではまた、「母になれなかった人」も取り上げている。不妊治療を頑張ってもダメだった人、治療の末妊娠はしたが、うまく育たなかった人。子がほしいと望みながらも、どうしても叶わなかった人の悲しみを想像してみたけれど、きっとそれを経験した人にしか、深いところはわからないだろう。

自分はというと、その世界からずいぶん遠くにいる。タイムリミットは刻々と迫ってはいるものの、どうしたいのかわからない。“戸惑い”の感情が一番近いだろうか。強い意志も、希望もないまま、ほかにやりたいこと、やるべきことに目がいって、なかなかきちんと向き合えない。だからこそ、母になることを選んだ人や、母にならないことを選んだ人が、強くたくましく見えてくる。

子どもを産むとは、いったいどういうことなのだろうか。何のために産みたいと思うのだろうか。身の危険があることは承知で、10か月ものあいだ不自由な身体になる。その先の未来がどうなるかなんて、誰もわからない。それなのに「社会のため」だと考えて子どもをもてるひとって、いったいどのくらいいるのだろうか。

生物的に子どもを産まない人が高見の見物をしながら、「女性は社会のために子どもを産まなくてはいけない」なんて胸を張って発言している様子を見ると、無条件な拒否反応と、ぶつけどころのない感情がこみあげてきてしまった。自分の意志とは別のところで、命がけの行為を強要されるって、ちょっとおかしくないだろうか。LGBTもしかり、当事者から遠い人が否定的な意見を言うときは、まず理解しようと話を聞くところから、初めてほしいなぁと思う。


この記事もとても考えさせられました。


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