他人が決める幸せの呪縛

あなたのためを思って言ってるの、こんなことしてたら将来絶対幸せにならない、そうやって予言をしては、相手がとっている行動を否定することにどんな意味があるのだろうか。

あなたの幸せを願って、の裏に込められた、今あなたは幸せじゃないんだからの呪縛は、一体何のためにするのだろうか。

「幸せ」は、人によって本当にバラバラなのに、なぜか自分の基準で他人の幸せまで決めがちだ。

確かに傍から見ていて止めたくなるような行動をする人、大切だからこそ言ってしまうことも多い。それは特に、親から子どもへと向けられるものに顕著だ。親は子どもの将来が心配だから、子どもには幸せになってほしいからと自分が考えた不幸せを否定して、自分の考える幸せの方向へ軌道修正させていく。

友人同士でも、自分が今幸せであることを、対照的な生き方で楽しそうにしている人を否定することで、確かめていく人もいるだろう。特に意識をせず、自然と行ってしまうから恐ろしい。

何に対して幸せを感じるかは本当に人それぞれだ。だからこそ、相手が「幸せだな」と思っている時はそれを否定したくないし、全力で「いいことだね」「よかったね」と声をかけたい。そこまでいかなかったとしても、幸せを否定したり、禁止することは絶対したくない。「幸せ」なその行為が今後、少しの不幸を生み出してしまうのなら、その時は一緒に悲しんだり、力になったりすればいいのだから。

そんなことを考えた火曜日の夜。通勤路の桜並木は4分咲くらいです。


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