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"何もできない"を細分化する悩み解決法

ネガティブが最高潮に達すると、「自分は何もできない」とわんわん嘆きだす。特技もないし、仕事もできない、人に迷惑かけてばかりだとベッドに横たわりながら力なく友達に電話をかけていたとき、友達が一呼吸してこんなことを言ってきた。

"何もできない"じゃなくて、できることとできないことをはっきりさせよう?

そこから、友達のヒアリングが始まった。

その時私が悩んでいたのは、仕事のこと。編集も、ライティングもうまくいかず「何もできることがない」といじけていた。友達は業界が全く違うため、「ライティングの仕事で何が必要なのか教えて」と言われて一つ一つ話し始めた。

私:「企画を立てる」

友:「これはできてる?」

私:「やってるけど、バズる企画が立てられないし、ちゃんと企画になってるのかな……」

友:「ここでは良し悪しを置いておいて、できるかできないかだけ。"できる"が言いづらいなら、まずはやり方を知ってるか知らないかにしよう」

そこで気づく。私は「できる」が恐ろしくハードル高い。バズらせる能力があるか、読者に刺さる企画が作れているか、そうでなければ「できる」とは言わないことになっていた。

やり方を知っているか、知らないか。これで今度は答えることにする。


次は?と聞かれてやりとりが続いた。

私:「取材先に依頼する」

友:「これはやり方知ってる?」

私:「うん。」

友:「OK。次は?」

私:「取材する」

友:「これも知ってるよね。次は?」

……こんな調子で話していくと、「何もできない」は、自分の満足いく結果を出せていないという意味だと気づいた。

「何もできないから仕事もない」なんて言っている私に友達は、「でもアポ取りのやり方、取材も、記事の書き方は知ってるんだから、仕事が無いことはないよ」と淡々と答えた。

確かに私は、企画も立てるしアポどりもする。取材は店舗取材、インタビュー、プレスの報道取材も行く。そしてその内容をもとに記事を書いてWebに公開しているし、企画を立ててライターさんへお願いしては、受け取った原稿を記事として公開するまでの一連の流れも担っている。

私が悩んでいたことは、ちゃんと読者に刺さるものが作れているか。編集者が意図した内容、または想像以上の内容が記事に表現できているか。そう考えるとやるべきことはバズった記事の研究だったり、いいなと思った記事を集めてみたり、どんな切り口で企画を立てるのか、書くのかを調べることだ。

「何もできない」と悩んでしまうと、知っていること、じつはもう出来ていることから再スタートしなくてはいけない。むしろ再スタートする労力をなまけて「何もできない」とぼやくだけになってしまう。

「できる」の言葉に抵抗があるなら「知っているか否か」でもいい。自分がやれるところ、足りないところを客観的に明確にして、無駄に悩んで立ち止まる時間をもっと減らしていきたい。


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