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読書の途中で疑問に思ったこと

毎日毎日、「私はこう思う」がスパっと出てくるわけじゃない。もやもや悩む時間の方が、ひらめく時間よりも圧倒的に多い。

通勤時に「里山資本主義」を読みながら、まだうまく答えが出せないことにもんもんとしている。最初の方では自然エネルギーを使った田舎暮らしの素晴らしさが説かれているのだけれど、すべてをうのみにして大賛成することに、どうも違和感があるのだ。

私の地元は、四方を山で囲まれた、のどかな地域だ。最寄りのコンビニまでは車で5分ほどかかるし、学校帰りに寄り道できるお店もなかった。家族全員が帰ってくるまで玄関は鍵をかけないし、夏の夜は窓を開けて寝ることも普通だ。

終電は早く、電車を1本逃すと30分後。そんな不便な場所にいたから、学生時代は早く家を出たくてたまらなかった。

都会に出て数年たった今、実家に帰るとそののどかさに落ち着くことがある。庭で採れた野菜が食卓に並び、普段高くて買えなかった食べ物が、有り余るほどに置かれている。自宅にいても夜通し聞こえる車の音とは反対に、実家にあるのはしんとしずまり返る静けさ。実はすごくいい環境で育ったのではと思ったことも少なくない。

けれど、今の生活も好きだ。夜中に呼び出されてもすぐに駆け付けられて、朝方まで近くのバーで飲めて、疲れた時はすっぴんにクロックスでコンビニまで出かけられる今の生活が、今の私にはすごく合う。

確かに田舎暮らしは、今の生活に無いゆとりや心地よさがある。淀みなく進む情報のスピードについていけず、何もない場所でちょっと非効率なことをしながら生活することは、心身のリフレッシュにも必要だ。地産地消、自給自足。そんな生活に憧れたりもする。

けれど100%その生活を望んでいるかと言うと、どこかでちょっと引っかかる自分もいる。スローライフにすべて傾けられるほど、私はまだ強くないかもしれない。

情報の波や留まることを知らない"効率化"の中で、もみくちゃにされながら必死で追いかけているこの状況は、もしかしたら今の私に必要なことなのかもしれない。完全スローな人生を送ると、今の私は少し退屈してしまいそうだ。

流れの早い今にベースを築き、時々スローな生活を送る。そんなバランスが必要なのだろうなと思う。

どんな風に生きていくかは人それぞれ。本の中にある里山の暮らしにワクワクしつつ、けれど半分もやっともしながら、ひらめきが出てくるまで読み進めていこうと思う。

田舎暮らし、都会暮らし、バランスの取れたちょうどよい社会を生きたいものです。


去年の毎日note


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