見出し画像

家族についてもんもんと考える

親族に親違いの姉妹がいる。彼女たちの父親の、前妻との子どもが姉、今の妻との子どもが妹だ。私がその事情を知ったのは、社会人になってからだった。

ほかの親族との話で予想はあったものの、仲の良い姉妹だったのでまさか、と思っていた。妹は姉のことをすごく頼っていたし、よく電話をしたり、家にも行っていた。姪っ子(姉の娘)に至っては妹のことを「お姉ちゃん」と呼ぶほどだ。

2人が一緒に住んでいたのは、妹が14歳頃までだと聞いた。これも親戚の計らいで、姉はお嫁に行ったそうだ。その話をすると決まって妹は、「お姉さん、本当は別に好きな人いたのに。」と付け加えた。

私には兄がいる。父親も、母親も一緒だ。小さい頃はよく一緒に遊んでいた。今思えば、私の性別を揺るがすぐらい、よく一緒にいたのかもしれない。けれど今は全く話さない。一緒に住んでいたのは私の大学卒業までだけれど、たぶん中学生くらいから会話は減った。終電が無くなって迎えに来てもらったことも、進路の相談をしたこともない。もちろん、兄の色恋沙汰なんて興味すらない。

「家族とは」を調べると、出てくるのは「婚姻や血縁関係によって繋がっている人」「生活を共にする集合体」と出てくる。それでいうと血縁関係もなく、生活も共にしなくなった姉妹は家族を解消されるのだろうか。血のつながっている私たちよりも違う部分でつながっている二人の関係は、一体何になるのだろうか。家族という一般的なくくりと、みんなが考えている「家族」がどんどん乖離しているような気がしている。

仲良くなって、親しい間柄になると「家族みたいな存在」という表現が世間一般的にしっくりくるのはなぜなんだろう。そもそも、「家族」がみんな仲がいいわけではない。「同級生にいたら絶対友達にならないだろうな」なんて思う家族のメンバーもいるけれど、それでも一緒に住んでるから暮らしてきた。

今住んでいるシェアハウスでも、「友達としてなら話すことも無かった」と思う子とも一緒にテレビを見たり、たわいもない会話をしている。「生活を共にする集合体」だ。けれどみんなが家族かと思うと、それはやっぱり違うような気がする。

「家族」が見た目の区切りだけでなく、メンタルの部分にも関わってきているからこそ、定義づけが難しくなってきているのかもしれないなぁ。

過去の歴史では一体どうだったのでしょうか。

ーーーーーーーー

毎日数人でお題を決め、noteを書いてます。ハッシュタグは #毎日note
テーマ #家族

最後までありがとうございます!いただいたサポートは、元気がない時のご褒美代にします。