藤井美保

神奈川県中郡大磯町生まれ。音楽系出版社を経て、作詞、作曲、コーラスの仕事を開始。真沙木…

藤井美保

神奈川県中郡大磯町生まれ。音楽系出版社を経て、作詞、作曲、コーラスの仕事を開始。真沙木唯として佐藤博、杏里、鈴木雅之、中山美穂などの作品に参加。90年代からは音楽書籍の翻訳やライターとしてのキャリアも。音楽への愛と敬意を胸に、数々のアーティストに関わる記事を執筆している。

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  • 父と娘の珍介護道中 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと

    2022年1月18日に94歳で永眠した父は、老老介護で母を見送った2008年から一人暮らしをしていましたが、2010年に圧迫骨折を起こして老健施設やケアハウスでの生活に。ちょうどその頃、私はちょっとした動機でアメブロを始めました。自ずと父とのやりとりも記すように。数年後facebookに移行しましたが、父とのやりとりはきちんと伝えたいとの思いで、ずっと書き続けていました。その全部を、時間軸&基本原文ママで記録としてまとめていきます。介護は誰にとってもはじめて。私も右も左もわからずいろいろな珍体験をしました。そう、これは、音楽ライターによる父と娘の12年に及ぶ日々のライブ・レポート。楽しんでいただければ幸いです。

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父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022)  時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと Prologue

プロローグ2022年、梅雨入りとともに、note、始めました。 はじめまして! 藤井美保と申します。 プロフィールはご覧になっての通りで、 現在、音楽を中心としたライター稼業です。 noteを始めたのには、理由があります。 この1月18日に、父が94歳で永眠いたしました。 ケアハウスにてお昼のサンドイッチを自分の手で食べ、自室に戻ってお昼寝している間に眠るように。 大往生と言っていいと思います。 母は2008年に76歳で旅立っています。 今頃二人で、空の上で仲良く詩吟をう

    • 父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のことEpilogue

      エピローグ父が旅立って1年が過ぎました。 命日は1月18日。 1月14日には、梅の咲く大磯・善福寺さんで、一周忌の法要を済ませ、 母の十三回忌、父の四十九日と同じく、 平塚・竹万で、父の写真とともに、家族みんなで食事をしました。 とても楽しい時間でした。 このnoteを始めたのは、昨年の梅雨入り時期。 父との最後の12年間の記録をまとめ、公開してきました。 誰かの何かの参考になればいいなという気持ちもありましたが、 たぶん、本当の目的は、 父の隣で自分なりに究めてきた介護道

      • 父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP34

        エピソード34 父のラスト・ライブの詳細レポート2022-01-25 1月18日、父・藤井明雄が94歳で永眠いたしました。 お昼のサンドイッチを一生懸命食べて、自分の部屋に戻り、お昼寝している間に安らかに息を引き取ったようです。 私も弟もすぐ駆けつけることができ、まだ温もりのある手を握って 「自分でも気づいてないかもね。よく頑張ったね。ありがとう」と伝えることができました。 ケアハウスのスタッフの方たちも、仕事の合間に一人ずついらしては父に語りかけ、父とのエピソードを聞か

        • 父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP33

          エピソード33 会いたい人への気持ちは最期の日々まで2021-09-30 お彼岸に行けなかったので、今日は父のご機嫌うかがいついでにお墓参り。 父との面会はいつも金曜日だけど、明日は台風だから前倒し。 ま、父はもうあまり日にちや曜日の感覚がなく、夢の中に住む人のようになのだけどね。でも、今日は朝出入りの床屋さんに行って髪がきれいになってました。 「床屋さんがあったし、美保ちゃんはくるし、お昼のあとはお風呂もあるし、今日はやることがいっぱい」と言うてはりました。忙しいのはいい

        • 固定された記事

        父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022)  時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと Prologue

        • 父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のことEpilogue

        • 父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP34

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        • 父と娘の珍介護道中 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと
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          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP32

          エピソード32 そのままにしちゃいけない気がしてお弁当会2021-06-11 毎度2週間ぶりの父の面会。会うなり「日にちを間違えちゃったんだよ」と困り顔。ああ、またきたか〜。 最近この手の話が多いなと思いつつ、「どう間違えたの?」と尋ねると、「カレンダー(この言葉が出てくるまで時間がかかったので、何を言わんとしてるか想像して、「もしかしてカレンダー?」と聞いて判明)の数字が間違ってる」という。 私が、そんなわけないっしょと心の中で思うと、素早くその表情を読み取って、「間違っ

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP32

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP31

          エピソード31 転倒続きで日にちの感覚があやしくなる2021-01-03 2日は例年通り大磯の実家へ父が里帰り。 ここ数年なにかと淡白になっていた父でしたが、今年は帰りたい気満々だったので、本人も我々家族もケアハウスも、コロナの現状を鑑みつつ、 家族全員の体調管理はもちろん、手指消毒、マスク、取り箸、換気、と、 細心、最善の注意を払って決行。 お迎えは弟が担当してくれたので、私は大磯の六所神社、高麗神社、お墓お参りをして合流。 「煮染め作ったの? 」と初めてのことのように

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP31

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP30

          エピソード30 父が仙人か神様のようにしか見えなくなる2020-07-04 今日は母の十三回忌の法事。 コロナで開催が危ぶまれていましたが、ケアハウスの所長さんから、 距離を取ること、マスク着用、人数、短時間を条件に許可が出て、 父を連れて大磯善福寺さんで法要、そして本人含め家族、親戚7名で、 平塚竹万で無事楽しく、美味しく会食することができました。 大雨が心配で、カッパやタオルなどいろいろ用意してたけど、 これまで同様父は最強の晴れ男伝説を更新してくれました。 きっと母も

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP30

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP29

          エピソード29 「10万円はいつ振り込まれるのかな?」2020-04-17 本日ほぼ1ヶ月ぶりにケアハウスにいる父の面会へ。 3ヶ月に一度通院している病院が、行かずとも電話で処方箋を出してくれたので、それを届けるのと同時に、大磯郵便局に戦死した父の兄の弔慰金を受け取りに行くのに必要なハンコを借りるために。 もちろんケアハウスに入る際は検温がマスト(体温計で感染するケースもあるので体温計は持参した)。&「短時間で」とスタッフさんが釘を刺さす。 それくらいのほうがありがたい。

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP29

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のことEP28

          エピソード28 コロナ禍によって生じた父と娘の大きなストレス2020-01-02 今日は実家でお年始。 まず大磯の六所神社と高来神社とお墓に初参りをして、弟家族と里帰りした父を囲んでご馳走に舌鼓を打ちました。 父の滞在時間は約3時間。8時には寝る段取りをしたいらしく、いつも通り6時半くらいからそわそわと帰りたいモード全開に。 ま、だから全然ゆっくりできないんだけど、これがここ最近の藤井家のお正月。 父にとっては、自分の動線で快適に暮らせるケアハウスが、今はマイホームなんだな

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のことEP28

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010~2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP27

          エピソード27 「先生、右手で日記を続けてもいいですか?」2019-06-14 今日はちょっと早いけど、父の日のプレゼントを渡しに。 ここ最近何をプレゼントしても反応が淡白だったけど、 今日は「ああ、父の日だからね。ありがとう」と、とても喜んでくれました。 よかったよかった。 2019-08-09 父の希望で、午前中大磯善福寺さんへお墓参りに。 危険な暑さの中、途中車椅子降りて手つなぎ歩きでお寺さん本堂へも上がり、 なんとか無事にお昼前にケアハウスに送り届けることができ

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010~2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP27

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP26

          エピソード26 サコちゃんの一周忌に便乗して藤井家23名が大集合 2018-12-14 今日の父からの頼まれごとは、銀行関係と橋幸夫の「霧氷」の拡大コピー。 土曜日の歌の会のために練習するそう。 先週「二人の銀座」をコピーしたんだけど、歌ってくれる女性がいないのだとか。 用は済んだけど父が食堂から戻るのを待つのに、私も近くの喫茶店でランチ。 由緒正しいきれいなナポリタン、美味しかった~。 サラダ付きで600円。平塚価格だね。 そういえば、家族ネタで、母お手製の田舎仕込みク

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP26

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP25

          エピソード25 何があっても愛を送ろうと自分に言い聞かせる2018-07-12 「みほちゃん、また目がちょっとめーなくなっちゃった」と父が言ったのが1ヶ月ほど前。昨年白内障の手術をしてもらった東海大に急いでかかったら、網膜下出血との診断。 「でも、もう出血は止まってるようだから、また3週間後に様子見せてください」とのことで、今日も連れて行った。 幸い前回から広がりはなく、このまま出血は吸収されるでしょうと先生。 「出血の原因はわからないけど、動脈瘤の破裂とかあるかもね」と

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP25

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP24

          エピソード24 サコちゃん(父の一番下の妹)の突然の旅立ち2018-05-14 小6まで大磯の実家で一緒に暮らした独居の叔母が、5月9日、80歳の生涯を閉じ、昨日葬儀を終えました。 毎日鏡台の前でオシャレして会社に出かける昭和のOL姿は、小学生の私にはとても眩しく見えた。 社員バス旅行がある折には、よく弟と私を連れて行ってもくれた。 30代で結婚したけど、旦那さんが40代で亡くなったので、その後はずっと独居。 平塚に住み、父母と同じ詩吟の会に入っていたから、大人になって

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP24

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ20210〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP23

          エピソード23 怒りん坊になった父とどう向き合うか2018-02-09 小さな悩みのひとつは最近ちょっと怒りん坊になった父のこと。 仕事に集中してるときに電話してきて、すでに終わってたはずにことを「あれはどうなってる?」と交戦的に持ち出されると、 こっちも余裕がないからつい「何言ってるの?」という態度になり、 最後はお互い大声になってガチャッ。 後味悪いこと山の如しなことがここ何度かあった。 父の怒りの矛先は、戦死した兄に出る弔慰金のこと。 昨年秋さんざん苦労して何度も役

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ20210〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP23

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP22

          エピソード22 卒寿のお祝いを盛り上げてくれた温かい計らい2017-09-30 昨日の昼間、父の用で大磯町役場に。 戦死した兄に対して国から出る特別弔慰金というものを受け取るための手続きだ。 面倒だったけど、父が下関市で生まれたことや、会ったことのない伯父の生年月日や没したとされる年月日までがわかり、しばし偲んだ。 大正12年生まれで、昭和19年に船の上で亡くなっている。まだ21歳くらい。 写真でしか知らなかった遠い人が、なんだか急に身近に感じられた。 伯父はあの時代に確か

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010〜2022) 時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP22

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010~2022)  時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP21

          エピソード21 よりよく生きるため治すことをブレずに望む父2017-04-07 東名ぶっ飛ばしーので父のご機嫌うかがい。 今日は数ヶ月に一度の皮膚科の日でした。 いつも優しい笑顔の素敵な女の先生に、スッカスカの象牙(?)のようになった足の親指の爪をニッパで切っていただき、 頭用、顔用、体用の塗り薬の処方箋を出してもらって210円!  「安いね~」とご満悦の父(笑)。 道すがら、「先日ケアハウスでお花見に行ったとき、お弁当は楽しく食べたけど肝心の花が一輪も咲いてなかった」と

          父と娘の珍介護道中(日記的エッセイ2010~2022)  時々、母のこと、故郷のこと、自分のこと EP21