行き渋り娘に2年間同伴登校するうちに、想像以上のことをやり遂げていた話
小2の次女の登校に毎朝付き添うようになって、間もなく丸2年が経とうとしています。
まぁそれだけじゃなくて、実は先週は
・次女の同伴登校5日間
・次女の早退お迎え4日間(体調不良含むけど)
・その他の事情でムニャムニャ
ってことで、自宅⇔学校を13往復しました、私。
どんだけ!
*
行き渋りする家庭を憐れんだり、「うちじゃなくてよかった!」と思ったりするのは、ごくごく普通だと思う。私が”そちら側”だったら、そう思ったに違いないから。
とはいえ、失っているものばかりか?と言われると、なんとなくそうじゃない気がするのです。
いや、もちろん、大変か大変じゃないか、と言われれば、大変です。それでも、こんな日々だからこそ経験できていることも、実はあるのかも。きっとそうに違いないし、そうだと信じたい。そんな”こちら側”の目線で、2年間を振り返ってみようと思います。
すべては「五月病」から始まった
同伴登校が必要になったのは、入学式から1ヵ月後。
――そう、まさに、GW明け。
それはそれは鮮やかな、教科書通りの展開でしたよ。
その日から、僕らの 7日間戦争 2年間戦争(古い…)が始まります。
次女の調子が上向きの日には、マンションの通路から全力で手を振って見送ることこそあれど、そんなの超絶レアケース。通学班の行列に加わる次女の隣に立ち、手を取り合って登校するのがデフォルトです。雨にも負けず、風にも負けず、雪にも、夏の暑さにも負けずに、来る日も来る日も一緒に歩き続けました。
順調に進めば10分足らずの道のり。ところが一歩をなかなか踏み出せず、歩き始めたと思ったら道で石を拾い始め、さらに歩けば自身の葛藤を聞かされ。1時間以上かけてようやく校門に到着したこともありました。
昇降口の前で駄々をこねられ、押し問答を繰り広げるうちに1時間目が終わるチャイムが鳴ったこともありました。
道の真ん中で地蔵と化し、ランドセルと次女の重みを全力で受け止めおんぶで学校に辿り着いた朝の私は、まさにぼろきれのようによれよれでした。
39度近い発熱に見舞われた朝も家で見送ることを許されず。1年前、肝臓の手術直後で傷口が疼くときも、脇腹をおさえて。私はいつも歩いたんだ!
なんとなく始まって、やるしかなかった。
近所のママたちの間では、もはやその様子はすっかりお馴染みに。スーパーで、道端で、学校で。ママ友に会うたびに、あたたかな声をかけていただきます。
いや、私も無理だと思ってた……
気づいたら2年経っていたのよ。
そうしないと行ってくれないから。
やるしかないんだわ。
――いつも、そう答えていました。
必要に迫られて、まるで息をするように歩き続けた2年間。すごいとかすごくないとか言っている余裕もなかった。すごいことをするために、頑張ってきたわけじゃなかった。
みんながやる必要がない「いらんこと」を、私はやってるんだから。すごいどころか、むしろ劣等感さえちらつくほど。
でも。
想定外のことを、2年間続けてきた。それは、まぎれもない事実。
だったらここらでしっかり振り返って、積みあがったものを自分でしっかり認めてあげてもいいのかも。
がんばった量を定量的に可視化してみる
そこで。
私は一体なにをやり遂げたのか?
定量的に眺めてみることにしました。
休んだ日(稼働ゼロ)も、超ド級スペシャル対応(全エネルギー注入)の日も、冒頭の通り複数回学校へを足を運んだ日もありましたが……そこはざっくり相殺することにして、淡々と毎日同伴したとしましょう。
◎時間換算してみたら、実はたいしたことなかった
まずは、時間で換算してみようか。
1日20分×2年で400日 = 133.3時間 = 5.6日
――あれ、あんまりすごくない。同伴対応って猛烈に時間を割かれてると思ってたけど、2年でたったの5日間。
もちろん、他にもいろいろ緊急出動などは日常茶飯事だからこれ以上に時間は持っていかれているけれど。それでもこれによる私の人生の機会損失は、想像以上に少ないのかもしれない(大発見)。
今回の目的の「どんだけがんばってるか」って話とは逆行するけれど、これはこれで一筋の光。
◎距離で換算してみたら、そこそこ日本縦断していた!
続いては、距離で検証してみることに。
1日0.8km×2年で400日 = 320km
……よくわかりません。
そこで。
現在地(さいたま)からどれくらいの距離になるのか調べてみたら……
ん!?!?!?
――仙台に辿り着いてました。
いや、むしろ突破して石巻に到達してる。
直線距離とはいえ、夏に旅行して魅了された鳥羽&伊勢にも歩いて行けていたんですね。
*
「行き渋りや不登校は、親のせいではありません」とよく言われます。私もそれを支えにして、平気な顔をしています。でも、実は「娘を行き渋らせてしまうのは、きっと私のせいだ」という思いが拭えていなかったのだなぁ、と、今になって思います。
だから、玄関を出て、てくてく歩き、校舎に入るのを見送って、てくてく家に戻る。代わり映えのない、先の見えないルーティン。それをただただ400回繰り返してきました。知らず知らずに、「私が引き受けるべき責任だ」と、全身に背負いながら。
けれど。
積み重なった往復の道のりを一つに紡いでみたら、私は娘の手を取りながら、思いもよらない場所まで辿り着いていました。自分一人ではたどり着けなかったであろう場所。「行こう!」と決めて出発するには、遠すぎる場所。
ただの繰り返しなわけがない。これだけの道のりを進む間に、きっと何かが少しずつ、変わっているはず。いろんなものを失うどころか、ものすごいことをやり遂げていたのかもしれない。――今は少しだけ、そう思えるようになりました。
私たち親子しか見ることのできない景色に向かって、今日の一歩を積み重ねる。それが私にできることで、私にしかできないこと。
だから、昨日も、今日も、きっと来週も。これまでよりちょっとだけ胸を張って、娘の隣を歩いていこうと思います。
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