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UXリサーチに役立つ文化人類学的思考

よく「文化人類学を専攻していたことが、UXリサーチの仕事に役立っていますか?」というご質問をいただきます。今日は私なりに感じていることを書いてみたいと思います。

文化人類学へ至った背景

まず私のバックグラウンドからお話したいと思います。私の出身校ICUはリベラルアーツ教育で、幅広く授業をとった上で3年次から専攻を選ぶことができます。入学当初は国際関係学や開発学を学び、国連やNGOなどで途上国開発に携わる仕事がしたいと思っていました。ただ、教室で授業を受けているだけではピンとこないことも多く、もっと現場のことを知りたいと思い海外ボランティアとしてトルコとベトナムを訪れました。

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トルコで訪れたのは、外国人が来ることがほとんどない田舎町。私たちのことを物珍しそうにしながらもとても歓迎してくれました。町の真ん中に共同のかまどがあり、女性たちがいつも楽しそうにパンを焼いていたのが印象的でした。

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ベトナムは孤児院にて英語を教えるボランティアをしていました。私が参加していたプログラムは色んな国からの参加者がいて、アメリカ・イギリス・フランス・韓国など国籍ごちゃまぜのメンバーで上の写真のように毎日寝食を共にしていました。

こうしたフィールドワークを重ねる中でいろんな文化や価値観に触れ、「豊かさ」というのは一つの軸では測れないことを体感しました。何をもって「先進国」と「途上国」というのか、自分が思う「豊かさ」を押し付けて良いのか、自分がやりたいことは開発学や国際協力なのか…とますますわからなくなっていました。そんな中、何気なくとった文化人類学の授業で先生がおっしゃっていた「文化人類学とは相手の目から世界はどう見えているかを知ること」という言葉にビビッときて、私がやりたいのはこれかも!と思ったのです。「先進国・途上国」という二項対立や枠組みを前提に関わるのではなく、ただ相手と自分の似ている点や違いを知って深く理解したいという気持ちのほうが強かったのです。そうして文化人類学を専攻することに決めました。

ということで前置きが長くなりましたが、ここからはいくつかキーワードや考え方を紹介していきます。

相手の目からみた世界を知る

これは前述したとおり、文化人類学の大きな特徴でしょう。私は大学の4年間、多国籍寮で暮らしていました。多様なバックグラウンドの人たちとの共同生活は毎日がフィールドワークのようなもので、時にはわかりあえず衝突しながら自分と他の人は全く違うということを肌で理解していきました。

たとえば、いつも皿を洗わないルームメイトがいて私は毎日イライラしていたのですが「なんで洗わないの!?」と怒ったところ、「家にディッシュウォッシャーがあったから、皿の洗い方がわからなかった」と話してくれたのです。(「いやそれでも洗えよ!」という気持ちは正直完全にはなくならなかったのですが…)こうした事情を知ると「なるほど」と思う側面もありました。他者と暮らす、しかもいろんな文化の人たちと暮らすというのは毎日がこういった小さな違和感の積み重ねです。自分の常識で相手を測ったり、批判したりするのではなく、まずは相手の目からみた世界を知ること、つまり相手のこれまでの生活習慣や価値観などを少しでも理解することでお互いに歩み寄れるのだと体感できたことは大きな経験でした。

そしてこれはUXリサーチでも役立っていて、「自分とユーザーは違う」ということを前提に考える思考の癖や、自分の論理で相手のことを決めつけるのではなく、相手から見た世界を解釈し、出来る限り他者の合理性を理解しようと努める姿勢にもつながっていると思います。

全体論(ホーリズム)

文化人類学で重要なものとして、全体論的な視点というのがあります。一部の現象や行動だけを切り取るのではなく、文化、政治、生活背景などをその人を取り囲む全体を理解したうえでその現象を捉えるということです。これは前述の「相手の目からみた世界を知る」ためにも大事なポイントでしょう。民俗学者・宮本常一の父が残した「旅の心得」にもこういう記述があります。

村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。

ただそこで暮らす人の行動や言葉だけを切り取るだけではなく、村や町全体を捉えて、その中にある「暮らし」という文脈で捉えたときに理解が深まることがあるのです。

たとえば私が担当している決済サービスのUXリサーチであれば、ただ決済の瞬間だけをリサーチすればいいわけではなくて、お金への価値観、日々の仕事への考え方、家庭環境、時代背景といったように視点を広げて全体を俯瞰したうえで考えることも重要です。

馴質異化と異質馴化

あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、大学院の授業で学んだのがこの2つです。

異質馴化
見慣れないものから着想を得て、見慣れたものに新たな驚きを感じること

馴質異化
見慣れたものを新しい視点で見て、異なるものとして捉え直すこと

異質馴化とは「見慣れないもの」を「見慣れたもの」に変換し、文化を翻訳することです。調査をしていると、ユーザーの発言や行動を「非合理的だ」「矛盾している」と感じてしまう場面があるかもしれません。しかし、相手の文脈を深くよく理解した上で捉え直した時、それは非合理でも、矛盾でもなく相手なりの論理があることに気付くのです。こうして、相手のことを深く理解し、他の人にもわかるように翻訳して伝えていくことはUXリサーチャーが日々やっていることだと思います。

また、馴質異化とは「当たり前」と思い込んでいるものをぶち壊すことです。これは異質馴化の結果起こることもあるでしょう。この異質馴化と馴質異化を反復的に行い、自身の捉え方を広げたり、アップデートしたりしていくことがUXリサーチの営みだと思います。

リフレーミング

既存の枠組み(フレーム)を取っ払って、新しい枠組みを発明するのがリフレーミングです。これは馴質異化ともいえるでしょう。たとえばUXリサーチでは、「学生」「会社員」といった属性や、年代・性別などのデモグラ情報ではなく、価値観や行動に着目することがよくあります。これにより、従来のものの見方とは全く違った枠組みが見えてきて、それが新しいサービスのアイデアに繋がったりするのです。

文化相対主義

文化に違いはあれど優劣などなく、対等であるという考え方・態度のことです。たとえば相手の文化が劣っているように見えるのだとすると、それは自身が属している文化や価値観に基づき、そのモノサシで測っているからなのです。こうした自身の特権性や絶対的価値観について自己批判を繰り返すことは忘れてはならない姿勢です。

文化相対主義について学ぶ過程で岡真理さんの『彼女の「正しい」名前とは何か ―第三世界フェミニズムの思想―』を読み、私自身「自分の思う正義」の裏に、異なる文化への差別意識や特権性が潜んでいたことに気付かされ、当時頭をぶん殴られた程の衝撃がありました。長くてやや難解な本なのですが、文化相対主義について学びを深めたい方にはぜひ手にとってほしい私のバイブルです。

サービス開発の現場で時々「ユーザーを救う」という言葉を聞くことがあるのですが、こういった表現が私はあまり好きではありません。なぜなら、サービス提供者が上で、ユーザーが救うべき弱い存在のように聞こえてしまうからです。自分たちが押し付けようとしている「正義」が絶対的に正しく、それを理解できないユーザーが間違っている、劣っているということはありえません。本来対等であり、さらにいうとサービスを共に創る良きパートナーであるべきだと思います。

調査されるという迷惑

ごく当たり前のことかもしれませんが、調査に協力してくださる方は実験の対象「物」などではなく「人」なのです。この本には調査される側が感じた「私たちを実験台にしている」「人であることを忘れないでほしい」など悲しいエピソードが紹介されています。

UXリサーチではどうしても1時間ほどのユーザーインタビューが中心になるので、フィールドワークと比べるとこうした「調査される迷惑」という感覚はあまりピンとこないかもしれません。しかし、調査では仮に謝礼を払っているからといっても尊大な態度を取ることは決してせず、相手に対して敬意を持つことを絶対に忘れてはいけません。

結論:スキルよりもスタンスが活きている

ここまで紹介してきたものは、わかりやすいスキルというよりもスタンス的なものが中心でした。これは私自身が学部までしか専攻しておらず、長くても2ヶ月間のフィールドワークしか経験していない背景もありそうです。修士・博士まで進まれた方は長期間のエスノグラフィ調査を実施する過程で得たスキルやテクニックも、UXリサーチに適応できる部分があるのかもしれません。

私の経験則では、質的データの分析方法などのスキルは自分で勉強したり、実務で実践したりして身につけることができますが、こうした文化人類学的思考の癖や姿勢などのスタンスを早い段階で身につけられたことは役立っているなあと感じます。


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