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44歳初産-記録用-

我が子との対面は予定よりも早く訪れた。

元々計画帝王切開だった出産。

妊娠期から血圧が高く、
「160を超えることがあったらすぐ病院に電話してください。」
と先生から指導があった。

36週過ぎたころ、血圧150前後が続き、
体調もなんだか優れない。

一通りの家事は全てできていたし、
体に大きな負荷がかかっているとは感じていなかったが、なんか常に体が疲れている。
妊婦はみんなそんな感じなんだろうと思っていた。


出産予定日を4日後に控えた日


念の為と病院に電話して、150前後の血圧が続いていることを伝え相談した。

「血圧が150前後の日が続いていて、念の為電話しました。」
電話口の看護婦さんは、先生に確認してくれて、少し待つと看護婦さんより、

「入院の準備をして今すぐきてください…と先生が言っています」
と告げられた。

入院??
まさかね.....

と思いつつも、
「わかりました。」と回答し電話を切る。

きっと、検査するけど異常は見られなく、自宅で安静にしててね。と返されるに違いない。
そう思っていた。

デリバリーで頼んでいたマックを急いで平らげ準備を始める。

ゴミはマンションのゴミ捨て場に証拠隠滅。
これは私の得意技。
詳しくは↓こちらで語っています。
https://note.com/mii2023/n/n5e9aecb70f18


でも!
万が一入院になんてなったら、お風呂に入れないかもしれない(汗)

そう思ったら、シャワーに入っておくしかない。
慌ててシャワーに入って、
留守にしても問題ない状態まで自宅を整えて、
元々用意していた入院カバンを持って病院へ。

家を出たのは、病院に電話をかけてから約1時間半経過していた(焦)

病院に気楽な感じで到着し名前を告げると、
奥から車椅子を押した看護婦さんがお出迎え。

「はい。こちらに乗ってください。」

あれよあれよと乗せられて、
別の病棟へ移動。

その頃の私は、まだ検査するだけと思っていたのだけど.....


着替えをさせられ、
母子手帳や手術の同意書を求められ、
先生がバタバタとやってきた。


「旦那さんは連絡取れる??」

「えっ!」

驚く私に先生が、

「赤ちゃんというより、お母さんがもう限界なんだと思うの。数日、お腹に入れてても赤ちゃんは変わらない。お母さんが危険だから、この後手術しようと思うけど、旦那さん連絡取れる??」

えええ!!!
心の声

どうしますか?とかの問いかけは無く、こちらに選択肢はないようだ。
すでに先生が今日産む判断をしている。
私の説得に入ってるようだ。


これから?!
どうなるの??

一気に緊張が走る。

先生とのやりとり5分程度、
なんとか手術する事に気持ちを持っていき、主人と姉に連絡を取る。

姉はすぐ連絡がつくが主人は応答がない。

不安が増していくと共に、この不安を主人に伝えて早く落ち着きたい。
早く出て。

主人に何度も電話をかけている中、看護婦さん2名によって準備が着々と進んでいく。

なんとか主人とも連絡が取れ、
事の事態を説明。主人ももちろんの事、動揺していたがすぐに駆けつけてくれるとのことだった。

良かった。
電話口の主人は、心配。というよりは、もう会えるんだね。頑張ってね。と楽しみの様だった。

あとは、私が頑張るだけだ。
いや、お腹の子と一緒に頑張るだけだ。

手術室に運ばれたのは、病院到着して1時間程過ぎた頃。


麻酔科の先生からも説明があり手術室へ。

手術室に入ると、なんと音楽がかかっている。
確かスピッツだったと。
この音楽でとても気分が和らいだ。

脊髄麻酔は初めてで、麻酔の管?を入れている間中、緊張し続けていた。

麻酔が効くまで30分くらいあった気がします。
ずっと看護婦さんが、
大丈夫だよ。大丈夫だよ。順調ですよ。この調子。
何か変化あったらなんでも言ってくださいね。
って、優しいトーンで話しかけてくれる。


看護婦さんは頼もしい。

いつもお世話になってる先生が私の腹部を触って体感20分くらい経った頃、看護婦さんから、

「もう出てくるよ〜」
「もうすぐですよ〜」


いよいよだ!!

子供の名前を莉子と名付けて、妊娠期ずっとお腹に向かってりーちゃんと呼んでいた。

この時も、
「りーちゃん、頑張って。」
「りーちゃん、頑張ろうね。」

って、何度も心の中で唱えてた。


腹部から思ったよりも小さな体が取り出され、看護婦さんによって、体を拭かれている。

看護婦さんから
「生まれましたよ〜」との声の後に

「みゃー、みゃー」と泣き声が聞こえた。

赤ちゃんというよりは、猫のような鳴き声だった。


産まれたんだ!
生きてる。
しっかり泣いてる!!


自然と涙がすーーーっと出た。

妊活中、色んな感情でボロボロになりながらも、自分で光を消さないように気持ちを保ち、他人にいじられないよう、光を大事にしまい、普段は光を見ないふりをして平然を装い生活して来た。

妊娠した後も、いつか落とされるんじゃないかと恐怖を感じながら生活していた。
妊娠中の恐ろしい生活はこちら↓
https://note.com/mii2023/n/n24d27ab083f8


全て報われた。

看護婦さんが、しばらくして私の元に赤ちゃんを連れてきてくれてついに対面。


あまりに近くに赤ちゃんを置かれたので、ぼんやりとしか赤ちゃんを見れなかったが、しっかり生きている。
頑張って泣いて主張している。


ほっとした。


赤ちゃんとの対面に浸っている中、2人の先生がお腹処置をしてくれている。


赤ちゃんと対面するまで緊張して、気にしていなかったけど、部分麻酔の不思議な感覚。
何も痛くも痒くもない。

でもしっかり音は聞こえる。

子宮に溜まっている液体を掃除機のようなもので吸い取っている音が聞こえてくる。
不思議な感覚でした。

病室に戻ってから、駆けつけてくれた家族と再会して、
「お疲れ様」と声をかけられた。

無事、出産を終えたんだって実感できた。

ガラス越しに赤ちゃんを見てきた家族から、赤ちゃんの動画が送られてきて、赤ちゃんの様子をしっかりみることができた。

その日は、出産による緊張で疲れて眠る。
3時間おきに看護婦さんが私の体調を確認しに来て眠れない。

夜中も朝方もお構いなし。

う、、、眠れない。


2024年1月15日
15時16分
2325g
女の子を出産

私の初産の一日が終わる。

そのあと、私が我が子に会えたのは、出産翌日の昼過ぎだった。

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