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日本という国の認識

英語圏に住む人の大部分の、日本という国の認識はどの程度なのでしょうか。

私は豪州で、9年以上滞在した。私がいた西オーストラリアは、資源を多く輸出しているために日本とも割と繋がりが強い場所。
そのために、第二外国語として日本語専攻している人も珍しくはない状態だった。

それでも、日本という国について多くの人はあまり良く知らない。ずっと自分の国に暮らしている人はマンガやアニメそしてゲームなどのコンテンツからうっすらと日本に触れている程度の人も多い。

以前も書きましたが、キティちゃんも「ハローキティ」と「ハロー」という英語がついているためにアメリカ発のキャラクターと思い込んでいる人さえいた。

他のアジアと日本の違いを全く分からない人も多い。例えば、ハリウッドの「なんちゃって」日本をみても何も違和感を感じないのです。
そういう人達は、中国、韓国、日本の区別は殆どできていない。

東京、京都、富士山が1日で簡単に回れると思っていたり、名古屋と長野を間違えていたりそういう人もかなりいる。
説明したとしても、興味がないので簡単にスルーするからずっと同じ認識のままの人も珍しくはない。

そんな様子の人と英語で話し、何か伝えようと思えば日本の感覚で接しても全く通じない。
英語が完璧であろうともそうなるであろう。

それはなぜかといえば、日本人の大多数の感覚と文化が英語圏のそれと大きくかけ離れているからにすぎない。

これと全く逆のことが起きることも理解した方が良い。例えば、英語圏で書かれた文学や作品を読んだり観たりしても、言語としての知識だけだと現地の人と同じように理解できず意味が分からないは起こり得る。そういう事だ。

これは、背景の知識がないから独特の文脈が理解できていないを意味する。

英語は英語圏で生まれた言語なので、その場所の風習や感覚そしてそれらを形成してきた背景にある歴史や宗教や伝説の知識があった方がその場に馴染みやすい。

逆に考えることも可能だ。いくら日本語が完璧に話せても、日本のそしてあなたの文化的背景に興味がない人とは、いくら言語という道具を通じても全く意思疎通は不可能なのだ。

これは、英語という言語で英語圏の人とコミュニケーションする時も同じだ。英語が生まれた背景や相手の背景を知ろうとしなければなかなか難しいのは英語勉強している日本人にも当てはまる。

日本という国の認識をどのように外の人が見ているのか、それと同時に日本の内の人が外の人をどんな認識で捉えているのか。

その感覚が大きく互いにずれていればいるほど、言語の問題だけではなくコミュニケーションに大きな壁ができる。

コミュニケーションは、何も言語の問題だけではなく歩み寄りが必要なのだ。
これはどんな国の人にも言える。

特に英語圏と日本語圏は大きく感覚がずれているし、文化形成も異なる部分があることを理解するのは大切なはずなのだ。それに加え、相手をよく見て理解しようとする努力も必要である。

言語だけ勉強すればそれが使いこなせ英語圏の人とも上手くやっていけると思い込んでいるとしたら短絡的すぎる。

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