英語上達はフルマラソンに似ている
英語を使えるようになりたい。そう思って学んでいても、なかなかすぐに結果は現れてきません。私もそういう経験を歩んできました。
長時間取り組んでも、目に見えた形で結果が現れない。途中で辛い気分になったりバカバカしく感じ面倒くさくて練習を辞めたくなってしまったりする。また、最初に気合いを入れて高い目標をあげるとそれが無謀に感じ継続する気がなくなって辛い気持ちになる。
これは、英語学習のあるあるです。
私は、この現象はめちゃくちゃマラソン本番までの取り組み方に似ていると思っています。
英語上達の過程はフルマラソンに似ているし、英語使いになるまではフルマラソン完走のための練習や、そのレースと似ています。
私は、昔当時の会社の上司からマラソンをすすめられてハマっていた事があります。私の目標は、取り組んでいるうちにフルマラソンの完走になりました。そして、無理なく自然に楽しみながら5時間きった状態で完走する事が最終目標となりました。(記憶は曖昧だけど確か、制限時間が設けられているものに出場したかったからです。)
練習を始めた時は、42.195kmは限りなく遠い目標のように感じ未知の世界。会社の仲間と大会にエントリーすることになり、10kmでも走れるかな?と不安に思う状況で、想像さえ難しかったです。
なぜこんなにハマったのかといえば、走っている間自分の心身と向き合って尚且つ必ず無になる瞬間があったからです。
最初は不安しかなかったので、10kmの大会までに歩く事から始めました。そして2km、3km、5kmと少しずつ距離を伸ばし、スクワットで足腰を鍛えダンベルで腕の強化とか体幹を鍛える事をはじめました。
ランナーズという雑誌に従って練習しただけです。
すごいものですね。プロが監修してる練習法に従っただけ、そして継続しただけでなんとか、10km完走まで漕ぎ着けたんです!!
元々飽きっぽいし、楽しさを探究するタイプの私はここで少々勝手な挑戦(実験)を始めてしまいます。
坂道が多いコースで、最初から飛ばしたらどんな負荷がかかるかとか、敢えて坂の下り坂で全力で下ったらどうなるかとか試し始めました。タイムをあげてみたい一心です。
基本は最初から飛ばしたら、途中辛くなり身体を何処か痛めたりして棄権しやすいし坂道で全力で下ったら膝を壊しやすいです。
(正直、私の中のもう1人の私はバカかと思っていましたが試してしまいました)
当時、体力お化けと呼ばれていた私は、膝も身体も壊す事なかったので調子に乗ります。
どんどんアップダウンの激しいハーフマラソンのコースとかにエントリーし始めました。ドーパミンとアドレナリン出まくった私は、周りに煽てられてお調子にのり10kmでもない20km以上のコースでバカを試し始めます。
(相変わらずバカなのは知っていましたが、試さずにはいられなかったです)
途中までは良かったけど、その内足の親指が内出血したりし始めました。
(あー摩擦だよね。スピード出しすぎたのかな)
と呑気に捉えていた私は、坂の激しいコースのハーフマラソンで先に述べた様な無茶な実験をし身体を一気に強化しフルマラソンデビューできないかと目論みました。。。
ある日、大会の後脚を伸ばしたらピキッとした感じがして歩く度にズキズキする様になりました。調べたら足底筋膜炎の症状と被り歩くのも辛くなりました。
その後の大会はとてもとても辛く苦しく楽しさは微塵もなかったです。
(なぜやってたのかは自分でも不明…)
ただ、ゴールすると気分良くランナーズハイが癖になっていたと思います。当時、色々悩む事があったのでマラソンする事で全てを忘れる事が出来た。それもあったのかな?と、、
練習は出来なくなり走ってるだけで辛い。タイムも上手く伸びなくなり悲しみが大きかったです。
途中私はどうしても辞めたくなりました。正直、辛すぎる訳です。辛い思いをしてまで貴重な時間を潰してやる意味は分からなくなっていました。
そして最初フルマラソンを走りたくなった意味を考えてみようと思った私。
元はといえば、普段走る事が出来ない場所が大会になると開放され綺麗な景色を楽しむ事が出来る事。
そして自分が42.195kmを走りきってゴールした時に、どんな気持ちになってどんな景色が見えるか何が変わるか知りたかった事が発端でした。
走っている間、自分と向き合いたかったんだな。そして、自分のいろんな感情を味わいたかったんだなと気付きました。
少なくとも、辛さを味わい辞めたくなってはその目的は果たせない。継続できない可能性高い。身体まで痛める可能性を負えば当然。ワクワクする楽しい気持ちを忘れて、辛い気持ちだけ味わい心を痛めつけた上での快感なんて良い訳がありません。
そんな少ない感情のバリエーションを体感する為にやってるなんてマジでバカみたいです 笑。
そのうち、私の気持ちは楽しみながら景色を見る余裕を持ち自分と向き合おうに変わりました。
慣れるまでは、とことんゆっくり走り気持ちよくなってきても決して飛ばしすぎない。景色を楽しもう。そして身体のリズムと心臓の鼓動に素直になろう。そう決めました。
なかなかタイムが上がらないもどかしい時もありました。練習してもほんの数秒しか変化なし。とかそんな時もあって、、
でもある時、かなり難易度の激しい棄権者も多いハーフマラソン大会で(自分もリタイヤしても良いやと思ってた)なんと若干の辛さだけでゴールできてしまったんです。
信じられない事に難易度高いコースを、楽しんで色んな感情が湧いてくる自分がいました。
無茶なバカしてた時とはえらい違いです。。。
試しに普通のコースの10kmにエントリーしてみたらバカみたいに軽く感じました。
全然能力が上がっていないと思ったのに、上達したんだなと初めて実感。
そろそろ限界を試してみても良いかもしれないと思った私は旅行を兼ねて伊豆の海沿いを走るフェスに申込みました。ハーフマラソンより少し長めのコース。
仕事疲れもあって万全の体調ではなかったけどなんとか完走でき順位も案外悪くなかった。
そろそろいけるかもしれない。制限時間のないフルマラソンにも申し込んでみました。日帰りで京都まで行き走るという訳分からない事をしました 笑。
が、しかしなんとなんとずっと楽しみながら5時間切ってゴールする事が出来てしまったんです。
当時の仲間に話したらかなり驚かれてバケモノとか言われました 笑笑。
だけど、私は何も特別な事はしていない。
ただ無理なく楽しみながら行ってきたから継続できて結果が出せただけ…
思い起こすと、疲れた時は適度にその部分を休ませ他部分を軽くストレッチしたりする。そして、決して焦らず自分と向き合い辞めずに継続するをしてきただけなんです。そしていかに苦しさをなくし楽しく行うかを探究した。ただそれだけ。
そして、なぜ走るのか?の理由を度々思い起こし自分の軌道修正を繰り返したら辿り着いただけともいえます。
早く上達したいと思ったり、タイムやランクばかり気にしていた時は変な雑念が入り乱れ碌でもない事が起き後退する事も多かった。そして、何度も辞めたくなってしまい目的を忘れそうになってしまった。
そんな気持ちをなくし、楽しさを追求してからは習慣となり辛さがなくなって自然と継続できました。
辞めようと思う事はなかったです。
もうやり切ったので、今はマラソンしていませんがあの時の経験はすごく今でも生きています。
そして、英語上達の過程はフルマラソンに似ていると断言できます。
なぜなら、継続こそ最も大事でそれは自分と向き合いいかに楽しめるかが全てと思うから
こんな考え方は、英語だけじゃなくてすぐに結果出ない事の方がうんと多い事実からも色んな事に応用できるなと肝に銘じています。
流れに逆らわない様にという事はすごく大事です。
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