2018/2/12にした自殺未遂の方法

失敗して生きながらえた自殺方法
実は自殺は三度目である
服薬自殺、三度目。
二度目は八年前。一度目はもういつだったか覚えていない。

実に浅はか。死ねないのも知っているような、ただの賭け。

精神科には十代の頃からお世話になっていたので、処方薬を溜める馬鹿な癖があるのだ。

よく言われてる「服薬自殺は死ねない」
でも、抗不安薬は呼吸を抑制してしまうこともあるから、最悪、死に至る。これに賭けた。

不安障害や不眠症で私には抗不安薬の処方がされていた。

びっくりすることに、妊娠中は子のために何も飲まずに泣きながらやり過ごせたが。
最近は看護学生になり、子育て投げ出し気味になり、不安障害や不眠症が再発していた。そして鬱病。何もやる気が出ない。何も美味しくなくて楽しくなくなって笑えなくなった。子も私になつかない。無表情な人間は怖いらしい。私が不安定だと子も泣く。
看護学生はこんなにも辛いものなのかと痛感した。試験、レポート、課題は手書き。実習、人間関係、人生で1番頑張ったと思う。でも身体も心も蝕まれていた。

「子もいる、奨学金も借りている、辞めれない」
そんな私には、もう自殺しか選択肢はないように思えた。

今は実習真っ最中、でも無理だった。
三連休最終日の夜、死を決意した。遺される家族を置き去りにして私だけ逃げ出そうとした。

溜めておいた抗不安薬、睡眠薬を何百錠も飲んだ。
眠りについた。死にたかった。何一つ出来ない自分を殺したかった。

結果、2日眠り続けた、糞尿垂れ流しで。3日目、呂律が廻らない状態で目覚めた、目覚めてしまった。
医師によると抗不安薬の呼吸抑制に至る致死量はギリギリの量で、もしかしたら死んでいたかもしれないと言われた。どちらが良かったのか未だにわからない、死んでしまっていれば良かったのか、生きていて良かったのか。

学校は辞めることにした。楽になったかもしれない。

まだ一歳の娘がいるのに死のうとした。声も聞かず、成長も見届けず無責任に。娘はきっと成長したら私が捨てたと思うだろう、可哀想だ、と私の母は言った。

いただいたサポートは娘の将来の為、生活等に使わせていただきます。