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誇れる自分でいるために、たった1つの大切なこと

「誇れる自分」がどんな自分なのかわからない。そんな人もいるかもしれない。私も10代の頃は、まったくわからなかった。けれど、それからいろいろなことを経験して、大切な人もたくさんできて、誇れる自分とはどんなものかがわかった。

何かを決断するとき、それが正しいかどうかなんて誰にもわからない。選んだ結果が間違っていたとしても、その後の行動で間違いにも意味を見つけられる。

けれど、決断するときに、少しでも正しい答えを選びたいと思う。それは自然なことだ。誰だって正しくありたい。自分で自分を認めるためにも。

誇れる自分とは、巡り巡って自分で自分を認めること。ただ、自分で自分を認めるのは、自己肯定感が低い人にとってはなかなか難しい。だから、まずは誇れる自分を手に入れるところから始めてみる。

私も自己肯定感は、そう高くない。子供時代に比べたら少しはマシになった、そんな程度だ。そうなれたのはきっと、自分のこれまでの経験と、乗り越えてきた心の葛藤と、大切な人がいるおかげ。最後の一つは、とても大きく影響している。

大切な人がいると、その人にとって恥ずかしくない自分でいたいと思う。顔向けできないような後ろめたさを抱えていては、その人の隣に立ち続けることなんてできないからだ。

そんな存在がいれば、いつでも自分を律することができる。判断に迷ったとき、行動する勇気が持てなくなったとき、何かがあったときに、ほんの少しだけ自分の背中を押してくれる。

昔のサスペンスドラマではよく、犯人に向かって刑事がこんなセリフを吐いていた。

「おふくろさんを悲しませるな」

大切な人の存在は、自分がひとの道理から外れそうになったとき、あるいはその場面に直面した際にストッパーにもなる。人は、つい楽な方に流れてしまいやすい。そんなとき、踏みとどまる大いなる力になってくれる。

ドラマのセリフは聞き飽きた陳腐なものではあるけれど、大切な人の存在はそれほどまでに人生に影響を与える力を持っている。

相手は家族でも、恋人でも、友達でも、憧れの人でも誰でもいい。自分の支えになる人なら誰でもいい。この人に嫌われたくない、そう強く思える相手であればいい。

大切な人がいれば、その人に後ろめたい生き方はできなくなる。理性はより強固に、決断したり行動したりも冷静にできるようになる。そして、その決断や行動できた自分をちょっとだけ、「やるじゃん、自分」と褒めてあげられるようになる。

「やるじゃん、自分」が積み重なれば、ちょっとだけ自分に自信がつく。それを繰り返すうちに「自分もまんざら捨てたもんじゃないな」と思えるようになる。

すると、大切な人の隣にいられる自分をますます好きになれる。自分を好きになれるってことは、自分で自分を認めてあげられるってことだから、自己肯定感も自然と高まっていく。

自己肯定感が低いと、何かがあったときに自分や他人を安易に、あるいは無意識に傷つけてしまいやすい。そればかりでなく、誰かに容易く依存してしまう。自分では気づかないうちに、依存関係を構築していることも多い。

けれど、大切な人がいれば、安易に自分を傷つけたり、容易く誰かに依存したりしなくなる。

そんなことになれば、嫌われてしまうかもしれないし、拒絶されてしまうかもしれないから。そっちのほうが何よりも怖い。だって、特別大切なその人を失ってしまうかもしれないのだから。

その人がいると背筋がしゃんと伸びる。そんな人がいれば、自分を大切にできるようになる。ちょっと情けないところがあっても、自分で自分を嫌いになるような選択をしなくなる。


あなたには大切な人はいますか?

心の中に、心の奥底に、この人だと思う人を住まわせて、素敵な人生を。

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