見出し画像

離れて暮らす親の介護をどうするか問題(2)〜コロナ禍の一時帰国中断中に起こった父の変化〜

私たち家族は、隔年で夏休みに長期滞在する形で帰国していたのだけれど、コロナの流行と同時にしばらく一時帰国できない状況になった。帰国予定だった2020年の旅行はもちろんキャンセル。その後なかなか帰れず、やっと一時帰国できたのは2022年、前回の2018年から4年も経ってしまっていた。父の様子が何かおかしい、とは母から聞いていた。とはいえ、年齢が年齢だし、年をとったということだろう、と母を含めみんながそう思っていた。でも、4年ぶりに会う父が以前とあまりに違っていてびっくりした。

動きがものすごく緩慢になり、体を思うように動かせない。むせることが増え、外食時など母はすごく気を遣っていた。そして、日中はテレビの前の椅子に座って漫然とテレビ画面を眺め、気がつけば口を開けて居眠りしている。日中は寝てばかりいるのに、夜になると眠れないと言ってこぼす。寝酒や睡眠薬に頼ったりしている時期もあったようで、母は心配すると共に、怠惰な生活をしているようにしか見えない父を見て腹を立ててもいた。もともと、母は生来の働き者で何かやることを見つけては動き回り、父はその正反対を行く人だったから、「怠け者」の父を見て母が呆れるのはいつものパターン。でも。それにしても、何か様子がおかしい。私たちが帰国していた2022年の夏、ようやく父を病院に検査に連れていくことになった。

この時に出た診断は、パーキンソン病。確かに、体がこわばりうまく動かせない、嚥下が難しい、睡眠障害など、当てはまる項目はたくさんあった。手の震えなど、パーキンソンによくある症状がなかったり、すぐ目を閉じてしまうなど、あまり説明のつかない症状もあった。でも、パーキンソンの薬を飲み始めてからは、以前よりは多少ましな状態になったように見えたので、薬が効いているのだろうと思った。一度診断名がついてみると、意外と周囲にも何年もパーキンソンを抱えて生活している人がいることがわかって、薬を飲みながら、ちゃんと体を動かすことをしていけば、父もそれなりの生活がしていけるんじゃないかと思った。エクササイズが必要ということで、週に数回介護サービスを使って高齢者のための運動教室のようなところにも通い始めた。この時点での介護度は「要支援1」。日々の生活に多少の助けはいるものの、一人で家にいても大丈夫だし、一人で散歩に行ったり時々は家庭菜園に手を入れたりもしていた。

若い頃、父はバレーボールのコーチを長年務め、スキーのインストラクターでもあった。私たち子どもたちにももちろんスポーツをやらせ、試合には欠かさず応援に駆けつける熱血タイプ。社会人になった息子たちがゴルフをするようになってからは、家族でゴルフをするのが父の大きな楽しみで、どんどんスコアを上げていく弟たちに対し、ムキになって挑んでいくような人だった。孫である私の息子たちとボール投げをしたりするのも大好きだったし、幼い息子を畑に連れ出してトマトやナスを収穫させたりするのも楽しそうだった。そんな父が、生ける屍のような体で四六時中椅子の上に座り、ほぼほぼ居眠りをしている。息子が話しかけても、表情は乏しく気の抜けた返事しかしない。そんな父の姿を見ていると心が重くて、正直、実家にいると暗い気持ちになるばかりだった。

親の老いを目の当たりにし、残っている時間はそう長くはないのかもしれない、と否応なく感じさせられた。私たちは、隔年などと言っていないで、毎年何としてもお互いの国に一時帰国することを最優先事項にすることに決めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?