アメリカでゲイ・レズビアンコミュニティに出会えてよかった!

私の2人目のルームメイトはまたレズビアンとなった。最初のルームメイトであるリンダと2番目のルームメイトであるロバータは友人同士だ。2人ともレズビアンだけれど、2人には決定的な違いがある。それはリンダにはストレート(異性愛者)の友達が多いのに対し、ロバータの交友関係はほぼゲイかレズビアンに限られていた、ということだ。

それはたぶん、リンダの開放的でフレンドリーな性格と、タウンハウスという長屋に住んでいたこと、そしてキッズが長い間一緒に住んでいたからだとおもう。キッズがいると子供を通じていろいろな交流が生まれるのだ。リンダの家にはひっきりなしに近所の人が遊びに来た。日本の古き良き下町風の生活だった。

ロバータの家は隣の家との距離がある山の中にあり、近所の付き合いはほぼなかった。かわりにロバータのゲイまたはレズビアンの友達が遊びに来た。ロバータの家で開かれるパーティは、参加者の男女比はほぼ半々だったけれど、女性はレズビアン、男性はゲイがほとんどで、たまにストレートの人も混じっていた。

リンダとはほぼ話すことがなかったトピックで、ロバータから多くを学んだのは、アメリカでさえゲイ・レズビアンで生きることは大変な苦労がともなうということだった。私の英語力が上がってきたこともあって、ロバータとはかなり深い話ができるようになった。

東海岸にあるワシントンDCで育ったロバータが自分はレズビアンであると確信したのは大学を卒業してからだった。大学時代に男性と婚約までしたあげくやっぱり違うと婚約を破棄した。その時にやはり自分はレズビアンなのだとはっきりとわかったのだそうだ。

当時は60年代でアメリカでも同性愛は精神病だと考えられていた時代だった。

案の定レズビアンであることを両親に打ち明けると、精神科にかかることを強くすすめられた。一人娘のロバータは大学を卒業して精神科に通ってみるがレズビアンであることに変わりはなかった。同性愛は精神病ではないのだ。

そのあと家族とのさまざまな確執をへて、同性愛者を受け入れる土壌ができつつあったサンフランシスコに引っ越してきた。サンフランシスコはニューヨークシティと並んでゲイコミュニティが大きく発展した町だ。今でもカストロというサンフランシスコにある地区は多くのゲイやレズビアンが住んでおり大きなコミュニティができている。

それでもロバータは自分がレズビアンであるとカミングアウトするまでものすごく長い時間がかかったという。サンフランシスコに引っ越してきてから、地方自治体の機関で働いていたが、レズビアンであることは職場では極秘にしてきた。

のちにマッサージセラピストになる学校に通い、マッサージセラピストとして独立した。誰一人ロバータがレズビアンであることを知らない職場とは別れを告げて、マッサージの仕事をしながらホメオパシーのドクターになるための勉強をしている。そして今はゲイやレズビアンの友達に囲まれ自分らしく生きることができるようになった。

ゲイ友に囲まれていたロバータのおかげでゲイコミュニティのいろいろなことを学ぶことができた。今では結婚もできるほどゲイの権利は認められるようになった。それは長い時間をかけてアメリカのゲイやレズビアンが立ち上がってきたからだ。

私はアメリカに移った直後にゲイコミュニティを知ることができて本当に良かったと思っている。私の中でゲイかストレートかは髪や目の色が違うレベルの違いでしか過ぎない。ゲイだろうがストレートだろうが同じ人間なのだ。

そのことに気づかせてくれたアメリカにとても感謝している。

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