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悲劇が変えてくれること

私は今悲しみのどん底にいる。この悲しみは28年前に経験した突然の離婚と同じくらいの深い悲しみで私の人生での悲劇トップ2に入る。

大切な家族だったわんこのくまが突然虹の橋を渡った。朝まで普通に生活していた(ように見えた、少なくとも私には)が翌朝には橋の向こうに行ってしまった。もうすぐ13歳という高齢ではあったのでいつかくるとは覚悟はしていたけどこんなに突然だとは想像もしていなかった。

くまがいなくなって私の世界は180度変わってしまった。

犬でしょう、おおげさ。と思う方もいるかもしれないけれど、私たちにとってわんこは家族。とくにくまは私にべったりの私の子だった。(うちにはあと2匹ワンコがいて1匹は夫の子でもう一匹は猫系のどちらにもつかない独立派)

私たちはどこに行くにもワンコを連れて行った。ワンコなしの休暇旅行は考えられなかったのでワンコと旅するためにキャンピングカーも購入した。夫も私も故郷は海外なので、飛行機に乗って故郷に帰らなければならない用事もできる。そのたびにワンコシッターを雇ったり、ホテルに預けたり。そのため休暇旅行でふたたびワンコを預けて夫と2人でどこかに行くことは全く考えられなかった。

私にとってくまとの突然の別れは子供を失ったのと同等の経験。人間の子供と一緒にするなと怒る方もいるかもしれないが、私にとっては10年ちょっとの寿命しかない子供と同じだ。


この悲劇を通じて決意したことがある。それは長い間勤めてきた会社を辞める、ということだ。


熱意はないけれどサラリーのために20年以上続けてきた仕事。今回ようやく辞める決心がついた。時間は限りがあるのだ。これからは自分が情熱を注げることに時間を使っていこう。金銭的に今すぐやめることはできないけど、来年をめどに辞職しようと思っている。

今思うと私の人生は悲劇によって先に進まされている。

最初の悲劇は離婚この経験によってアメリカに渡ることになり、人生が大きく変わった。

次の悲劇は夫の子供達との別れ。私が夫に出会った時、彼は離婚調停の真っただ中だった。だが調停はその後大きくこじれ夫は親権を完全に失った。その結果子供達に全く会えなくなるという悲惨な結末になったのだ。以来夫は子供達に会っていない。14年前のことだ。このことがきっかけで私たちはそれまで住んでいたサンフランシスコベイエリアを離れ、レイクタホという山奥に引っ越してきた。ここに住むことによってヨットで生活するという経験も手に入れた。そしてこの先に続けていきたい事業のヒントを得る事ができた。

3番目の悲劇は父の他界。これにより私たち家族は短期ではあったけれど日本で生活することになった。ワンコと夫を残して私だけ長期で日本に滞在するオプションはなかった。そのためワンコ全員引き連れて(もちろん夫も)日本に行った。大変だったけれどとても良い経験になった。そして父との別れを通じてビジネスを興そうという気持ちが固まった

今、くまと別れるという4番目の悲劇は、会社を辞めるという決意をさせてくれている。本職とは別に会社を立ち上げたのはいいけれど、本職との両立はむずかしく思うように時間がとれなかった。これからはこの事業を育てることに集中しようと思う。

そして夫が常々希望しているスペインに住むというオプションも視野に入れていくつもりだ。長期の移住ではなく短期で住むという計画だが、スペイン語ができないという言葉の不自由さと、タホから離れてビジネスができるのかを考えると一歩踏み出せずにいた。でもこれも人生のアドベンチャー。言葉なんてなんとかなるし、私の事業はアドベンチャーを応援するビジネスだ。冒険の舞台がレイクタホからスペインに移ったっていいじゃないか、と思えるようになったのだ。

くまとの突然の別れは、私を先に進めようとしてくれている。

悲劇はいつも私を底につき落とすけれど、同時に新しいドアも開けてくれる。今はまだドアは遠くに見えているだけで近づいていく力はない。でもいつもそうしてきたように、きっといつかドアの向こうに進むことができるのだと信じている。

(くまとの12年間の思い出をつづるメモリアルノートを始めました。よろしければぜひ)
 
 
 
 

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