食品サンプル業者さん、お疲れ様です! 『和食』展@国立科学博物館
11月3日。トーキョーの休日ってかんじムンムン。お子様連れで混雑する連休の上野で「和食」展を鑑賞。
この展示、2020年に、私の本「世界に教えたい日本のごはんwashoku」と同時期に企画されていた展示で、版元さんとともに「話題に乗れるわ」と、大いに勢いづいたのだったが、展覧会はコロナで延期に。和食本がひっそり先に出版されてしまった。
その間、グルマン世界料理本アワードもいただいたりして、この展覧会のことは忘れていたのだが、3年延期して公開となった。
国立科学博物館という理系の機関が、料理人でもなく、食文化研究者でもないスタンスから、どう「日本のごはん」にどうアプローチするのか。興味津々。期待を胸に、始発の新幹線に乗車。
最初の展示は、「水」から。
きたー。サイエンスな切り口。
確かに、食の根幹は水。味と調理を根底から支えているものは水だ。東京に出店した京料理の店は、毎日、京都から水を運んでいるときく。
東京の水では、ふんわりと昆布だしが出せないからだ。
逆に、イタリアンやフレンチの肉料理なんかは、東京の水が適している。「関西の水では味のエッジが出ない」というイタリアンのシェフの言葉をきいたことがある。
そんなふうに関東の硬水、関西の軟水とばっくり理解していたが、日本全国、いろんな水があるということは、水から郷土料理をリサーチしてゆくアプローチもありえそうだ。
お次が菌類。ミクロというかサイエンスですね。
「そこからきたか」と、意外なアプローチ。
この「和食」展、いけてるかも?!わくわくしてきましたよ。
次は、食材のルーツを図解。
実は、いま和食に使われている野菜はほとんど外来種。
いきなりきた「和食の純粋なる血統の否定」っぽいニュアンスに、
いいぞいいぞと心が踊る。
お次は、海藻類。
欧米では海藻は飼料にするかゴミになるものらしい。
それが日本では、いろんな海藻をフル活用している。活用法も衣食住オールラウンドだ。これは日本人の「もったいない精神」のなせるわざ、だけではなく、「日本人は海藻を消化して栄養にできる腸内細菌の持ち主」だからなようだ。
その話で思い出したのが、この春のnoma京都だ。
(どうやら珍しい種類の)海藻をうやうやしく「しゃぶしゃぶ」で出された。カリスマシェフのレネが、デンマークの海辺で海藻を採取しているドキュメンタリーを見たことがあるが、海藻を食べることは北欧ではそれほどエクストリームなんだろう。
しかし、こちとら60種類、全部喰いよ。noma京都11万円のランチに、ちょろっと出された海藻の残像、、、がいまだに恨めしい。
お返しに「どんな海藻もどんとこいな倭人の酵素」を見せつけてやればよかったワ。(うーん、どうやって?)
ここまでで、理系の「和食」アプローチどんとこい状態になったところで、展示は屋台やマグロの模型なども挟みつつ、以後、延々、そして怒涛の食品サンプル展示のオンパレードとなってしまう。
「卑弥呼の食事」「アイヌの食事」「戦国時代の宴会料理」そして庶民の料理。とにかく膨大な数の食品サンプルが、ケースの中でテカテカ光る。
形として残らない、しかも現在とは大きく形の違う昔の食を、資料からひもといて、造形した食品サンプル業者さんの職人魂がすごい。
研究者からはいろいろダメ出しもあったと想像する。本当にお疲れ様でした。
その労は最大限に礼賛しつつ、しかし、サンプル陳列以外に展示方法は本当になかったのか???と疑問は残る。
近代日本の食の大問題「洋食は和食か」を、付箋アンケートでスルー
後半の展示は、肉食禁止令解禁、鎖国も解禁、体格を向上させ西欧列強に負けじとハイカロリーな中華や洋食をとりいれた近代以降の「和食」となる。
長い和食史で、現代の食に直結するいちばんホットな部分だ。
外来種の野菜をとりいれ、中国から調理法をとりいれ、戦争を通して西欧と交流することで、いよいよ和食にカオスな食文化が花開く。
ここにこそ日本の食のダイナミックさがあるとおもうのだが、展示はなんとあっさりしたボード説明と、「ラーメンは和食と思うか」など、アンケートによる意識調査。
さらに、付箋に鑑賞者の意見を書いて貼るコーナーが設けられている。
この「観客に付箋寄せ書き」させるコーナー、最近たまに見かけるが、一体だれが始めたのか。
話がそれるが、2021年 滋賀県立美術館の「人間の才能」展で来館者に「思いを書かせる」コーナーが思い出される。(企画担当は館長の保坂健二朗)。展覧会をひらく(?)ことと、展覧会ディレクターが展示のツメを放棄することとは違うと思う。「観客と思いを共有」とか「展覧会をオープンに」、とかいうなら、観覧無料、出入りもオープンでお願いしたい。
話を戻す。
昭和の食は「サザエさん」の礒野家に登場する食が再現されている。興味深いが、ありきたり感はある。漫画は漫画だしね。
洋食の説明ボードのテキストも、なんだかテキトーだなあ、と気が抜けた。
お好み焼きの起源を「千利休のふのやき」と書いてあるのだが、ちょっとそれ、遠すぎませんか??
庶民の食は、とかく俗説まみれで語られがちで、適当な言説でも気にされない。しかし、「粉もん」ひとつにとっても、「お好み焼きの物語 執念の調査が明かす新戦前史」のような鬼リサーチもある。この調査によると、お好み焼きのルーツは、江戸時代の大道芸〜大正時代の「洋食コピー料理」だ。
最新の先行研究をリスペクトしていただきたい。
SUSHI POLICE登場! 「和食の真正性」の主張がイタい
外来食をテキトーにスルーさせたあとは、お約束といっていい「和食礼賛」コーナー。そのあとは取ってつけたような「海外での和食」紹介だが、急降下といっていいほどの、おざなりな展開。
「SUSHIの海外伝播」は、このテーマだけでひとつの展覧会が成立できるほど深い。それを、海外で見かけた寿司屋のスナップ写真で流してある。やる気がないのか、触れたくないのか。
日本の食に触発されたペルー育ちの高級フュージョン、NIKKEI料理にちょっと触れている。和食ルーツの料理の世界的スターといっていいのに「ペルーのリマの市場に、和食の食材が売ってます」みたいなスナップ写真だけ。NIKKEIがいかに高級フュージョンとして世界に伝わっているか、NOBUやペルーのスターシェフに取材するなどしてもよかったのではないか。
どっちにしても「世界の中の和食の今」と未来に向き合う気は薄そう。
トドメが「海外における和食の需要と変容をめぐっては、肯定的な意見もあれば、和食の「質」が保たれなくなることへの懸念も示されている」という、「和食のオーセンティシティ(真正性)」を危惧するメッセージ。
出たーSUSHI POLICE !
2003年に、日本の農林水産省が、海外での「間違った和食」の取り締まりを画策し、それがアメリカのワシントンポストに「SUSHI POLICEがやってくる」と揶揄された。この話題は、アニメSUSHI POLICE となって2度笑われている。
「海外の間違った和食」をあげつらい、それを「懸念する」ことは、漫画になってダブルで笑われるようなことだ。
考えてもみてほしい。
ナポリタンが、イタリア料理の質を保っているか?
ラーメンが、中国料理の質を保っているか?
そして、この二つが日本でどれだけ工夫を重ねられ、深く浸透し、愛されているかも考えてほしい。
有史以来、外来の食の変容に熱心にとりくんだ食こそが「和食」だ。
近現代においては、海外からとりいれた味をジャパナイズした料理が無数に生み出され、それが今や観光コンテンツにさえなっている。
そんな和食に、いきなり真善美の「日の丸」が立つって、何だ?
国立科学館というサイエンスな環境での和食探求を期待した「和食」展。たしかに前半、水や土着の生物に注目して、サイエンスな切り口から和食を解明しかけたが、後半では和食イデオロギーに飲み込まれてしまった残念さがある。
「自然や祈りとともにある食」、とか、独特の調理法、多彩な調理器具とか、だしとか。そういうものは全て「日本だけの、美しき和食の特徴」ではない。世界津々浦々、どんな文明にも、形を変えてある。
「和食」を、日の丸を立てたお子様ランチにしないために
最後に、この展示(の後半)をどんより覆っている「和食イデオロギー」から逆洗脳してくれる本「秘められた和食史」をリコメンドしておく。和食と洋食の言葉の発生から、ユネスコ無形文化遺産登録の裏側まで、近現代の和食史が綿密に調べ上げられている。
日本人なら「和食」のことは、知っておきたい。
それは井の中の蛙になって「日の丸」にすがり付くのではなく、世界の中での日本文化を俯瞰すること、地球の中で今進行中の食のインタラクションに偏見なく関心を寄せ味わい尽くすことだと思う。
「和食」を日の丸を立てた、無知と島国的自意識だけ大盛の、しょぼいお子様ランチにしてはいけない。
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