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バングラで聞いた「10年後、僕が日本を助けます」を、ラグジュアリーホテルで思い出した

新しくオープンしたラグジュアリーホテルにご招待を受けた。
チェックインしようとしたらフロントデスクにはインド映画に出てきそうな髭のダンディ、部屋の案内をしてくれたのは、チャイナドレスやアオザイが似合いそうなアジア系の若い女性ではないですか。客室のシンプルで広々したデザインもあいまって、日本のホテルにいる感じがしない。
いやはや日本の人手不足、ここまできたかと驚いた。

しかし、改めて驚いたのが、それを残念とか情けないとか感じさせないくらいの、スタッフさんたちの対応の素晴らしさである。部屋まで案内してくれた女性は、多少の言葉の辿々しさはあるものの、「英語は勉強しなくても、ハートで伝わる!」みたいな、昔聞いた精神論が「ホントそうだわ」と思える、言葉を超えたおもてなしオーラを放っている。

社員教育が徹底しているということはもちろんだろうが、内側からでてくる「仕事が楽しい」というモチベーションの高さは、サービスの場にいる日本の若者からは、久しく感じたことがない気がした。
ここで希望を持って、安心して働ける環境を得られているからだろう。「いいホテルだな」と、心で五つ星をつけた。ホテルの方に伺うと、バングラデシュやフィリピンからのスタッフが多いそうだ。

「援助される側」のシビアな目に、日本は「お返ししたい国」に映った


バングラと聞いて、10年前にダッカで会った若い男の子を思い出した。
「日本人ですか?」と道で声をかけてきたので、反射的に「やばいやばい」と無視して早足で離れようとしたら「日本の方にお礼したいです」と言って追いかけてきた。「僕の村の橋は、日本人がつくってくれたんです」。

バングラの祭日風景。ムスリムが大半の国だけど、サリーで肌見せ。みんなきれい

アフリカでもアジアでも「援助される側」にずっといる国の人というのは、どこの国や団体が、自分の国にどんな意図で「援助」をよこしているのかを、本当に冷静に見ている。単純に喜んでいるわけではない。
援助の名の下に搾取をしている国や団体も少なくないからだ。

現地の人が援助国や団体を批判する声を聞くことは、「援助する側」の国の人であるワタシにとっては、二重に苦しい。
平和で豊かな国にいるおかげで、「援助は、基本的に善意であるはず」「援助される側は、有り難く感謝するものだろう(感謝すべきだろう)」と、単純に信じてきた時間が長い。しかし、与えるー受け取る関係に、善意と感謝だけがあるなら、世界はこんなに殺伐としていない。善意と感謝が二重に裏切られる現実がある。
(フリーランス国際協力師(笑)原貫太さんのビデオを貼っておく)


ダッカの男の子は「自分は、日本をそうでない国としてみている」とわざわざ声をかけてきたのだろう。

男の子はこうも言った。「10年後、僕らが日本を助けますよ」
その時は「ありがとう」と言って笑っていたが、いま目の前のラグジュアリーな空間に、それにふさわしいサービスを提供するという形で、彼の言葉の通りのことが現実になっていることに、ちょっと遠い目になった。

バングラの男の子が、働く場所として日本を選んでやってきて、ホテルのダイニングであたたかいコーヒーを、満面の笑顔で注いでいる。

人手不足にあえぐ日本で、私たちがこんなに手厚いサービスにあずかれるのは、そして観光で食べてゆくしかない国になってしまった日本の最前線でバングラの男の子が戦力になってくれているのは、かつて日本の団体が橋をつくったりして援助したことの、遠回りのリターンではないか。

高級ホテルに泊まっていながら、目にとまったのは部屋の豪華なインテリアでもなく、感銘をうけたのは贅沢な食事でもなく、考えたのはそんなことだった。

貧乏性とはこのことか。
誰か援助して。



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