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おっさんずラブ余韻に浸るお

最終回、あの、あの、あのシーンにて……。
思わず、言ってしまった……。

それが聞きたかったあああああああ!!!!!

春田、ありがとおおおおおおお!!!!

第6話、牧が自分の感情を押し殺して春田に別れを告げ、その一年後まさかの部長と住んでいるのがわかった瞬間、

神様、、牧は春田じゃないとダメなんです、、、
こんなこと、、あっちゃいけないんです、、

と、どこにいるかもわからない神様に言いました。

牧を幸せにしてください!
みんなを幸せにしてください!

と、どんな姿をしているかわからない神様にお願いしました。

このまま春田と牧が本当の気持ちを見つめ直さないままでいたら……。
そんなこと思うと怖かった。


いつもより洗濯物を速く畳むことができ、いつもより時間の経過をゆっくりに感じた6月2日。
気が気でならなかったよ、一年後のことが。

しーんと静まった部屋で映像と音声が流れて、一秒一秒過ぎていくのをぬいぐるみをぎゅっとしながら見守った。

もう、すべてが、ずるかった。
目の前で実話を見ていた。そう思った。



私は今、幸せな高揚感に包まれている。

そして、気持ちがどこか、上の空。

もしかしたら雲に乗って、天空不動産東京第二営業所の上空にいるのかも……。

気が付いたら、ぼぉーっとしている。
頭の中にスキマスイッチの『Revival』が流れていて、「君に会いたいなぁ」と歌っている。

脳の検査をすれば、
「おっさんずラブホルモンが多量に分泌されていますよ」
血液検査をすれば、
「おっさんずラブの数値が異常に高いですよ」
診察を受ければ、
「おっさんずラブという感染症に罹っていますよ」
と診断が下されるに違いない。

ただでさえスマートフォンを触る癖があるのに、ぼぉーっとしたまま検索エンジンに「おっさんずラブ」と打ち込み、長時間をどこかに置いていきそうなので、スマートフォンは目に付かないところで待機を、の作戦を取っている。

最終回を見終え、ロスに陥ったと思っていたけれど、やっぱりそれは少し違う。「○○ロス」の意味を調べたところ(一応)、~~~を失う、喪失する、といったようなことが出てきた。たしかに、心をどこに持っていっていいのかわからない、感情を大きく揺り動かされた7週はもう戻ってこない。どうしたって戻ってこない。それは私だってさびしい。

でも、その7週では失ったものより得たものの方が多い。人を愛すること、人を見守ること、自分にとっての幸せ。ドラマを通して考えさせられたし、あんなにキラキラした感情をたくさんもらえた。それに、春田も牧も部長も武川さんもマロもマイマイもアッキーもちずちゃんも鉄平兄も蝶子さんも春田母も牧の父母妹も、きっとどこかで生きている。最終話が一年後の話だから時系列はちょっと変わってくるけどそれでも、それでもどこかで生きている。

「だからこれは
”おっさんずラブ余韻” なのだ」

ロスと呼ぶにはあまりにも幸せすぎる。ほら、あれに似ている。コンサートやライブが終わった後のあのもったいないくらいに幸せで帰りたくない感覚。映画を観終わった後のなんともいえない優越感。余韻、、と呼ぶ方が私にはしっくりくる。他のドラマはロスだった。なのに、不思議だ。さすがだ。

いや、違う。今までも「○○余韻」なドラマは、あるにはあったんだと思う。でもこんな違和感も感覚も初めてで、気付きを与えてくれたのだから、さすがだ。

おっさんずラブに "喪失" は似合わない。なんて思った。

10年、20年と経って、またこのドラマのタイトルを耳にしたとき、「あのときめっっっちゃハマったなぁ~。もう意味がわからないくらい好きだったんだよね。また見返したいな。」って思えていたら今の私は嬉しいし、リアルにそう思うんじゃないかな。

キャストのみなさん、制作チームのみなさん、お疲れ様でした。
最高なドラマをありがとうございました。


あ、そういえばこれ、フィクションのドラマのなんだよね。そういえば。