『何者』かになんてなれるのか

映画『何者』を観た。就活が終わる目処が立たないうちは絶対観ないし読まないって決めていた作品。目処が立ったから、とりあえずネトフリで映画で…って観てみた。

感想としては、就活ってやっぱり残酷だなって。光太郎の「俺って就活がうまかっただけなんだよな」ってセリフが本当に残酷。就活の上手下手ってあるとは思うけれど、そのタイミングで拓人に言うか? って。筆記試験で落ちるのは実力不足。でも、面接って何を見られているのかわからない。テクニックって言ったってやっぱり面接官との会話のキャッチボールだから、向こうの主観がだいぶ入ってきちゃうよねって、面接官の立場になったことがないから完全に推測なんだけど。そこで「就活って結局、足が速いのかどうかと同じでさ」なんて言われちゃったらもう何も言えないよ。足が速いとかって努力よりも才能の部分が大きいじゃん。就活も才能なのか? 本当に本当にそこで働きたいのに、「自分自身」ではなく「就活の才能」なんてもので選ばれちゃうのか? とか、ぐるぐる。就活が上手な光太郎には悪気がないってところも残酷さに拍車。

なんていうか。この映画では光太郎や瑞月じゃなくて、拓人・理香・隆良の三人に感情移入させられた。拓人みたいにツイッターで友達の就活状況見たりしちゃうし。さすがに裏アカはないけど。理香みたいにがんばってますよアピールをしないと、何枚もESなんて書けないし。隆良みたいに3/1の午前0時が来たら一斉にエントリースタートっていう社会の潮流もくそくらえって思うし。他人の内定を羨む、わかりやすいたぶん一般的な「就活生」が内定をもらえないっていうのが本当にきついところ。

でも、結局そういうところなのかなって、採用する側になったことないからわかんないけど思う。人を妬むばかり、自覚あるのかわからないけど人を下に見てしまったり。自分は周りよりもがんばっている、だからすごいでしょ? ねえねえ見て見て! 褒めて褒めて! とか。社会の潮流に逆らいたい! だって俺は俺の人生を生きたいから、とか。自分だけで「何者」かになるんじゃなくて、誰かとの比較でしか「何者」になれない、そんな人と一緒に働きたいかっていうとちょっと疲れちゃうかなって思っちゃうし。そういうところがあっても面接で隠せないなら、社会に出ても嫌なことがあったら耐えられなさそうだな、とか思っちゃう。「個」ってやっぱり大事だし、でも誰かと比較して得られる「個」もあるから、そこの塩梅がねえ…ねえ。

ラストシーンも印象的だった。突然舞台になって、拓人は演劇をやっていて。「全部夢オチでした〜! て感じかな、よかった」って思ったけど、次のシーンで拓人と瑞月がカフェで話すシーンで「ああ、違ったんだ」って悲しくなった。でも、拓人にとって演劇はやっぱり大切なものだっていうのが感じられて、就活に活かされているのがわかって、多少なりとも拓人の中で何かが変わったんだって示されて救われた気持ちになった。

うーん。やっぱり就活終わる目処が立つ前に読んだり観たりしなくてよかった。拓人は救われそうだけど、でもその描写だけでは観ているこっちは救われない。それまでの1時間30分が重くのしかかってくる。でも、終わる目処がたちそう、という今の立場で観るのも複雑な気分だった。それでも、こんな気持ちでこの作品を味わえるのって、今だけだと思うから、原作もきちんと読んでみようと思う。明日は荒れ模様になるみたいだけど、がんばって本屋さん行こう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?