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できることが増えるほど虚しくなっていた理由

私はずっと不思議に思っていることがありました。

それは
「なんでできることが増えて
 効率的に成果を出せるようになればなるほど
 こんなに虚しくなっていくのだろうか」と。


「いやいや、みんなの役に立っているしそれで十分じゃないか」と
自分を言い聞かせるものの
言いようもない孤独感がじんわり襲ってくるような、そんな感覚。


そんな人、実は他にもいるんじゃないかなと思って
気づきを書いてみました。

理想の自分


今年の新年一発目に思ったことが

「今年は脱・個人主義、能力主義で
 ひとりじゃなくてみんなで
 たくさんの人を巻きこんでいけるようにしたい」

ということ。


なぜそう思ったかと言うと…
私自身が能力主義に陥っていたからです。

私は「自分が思う理想の自分」を保ちたいという気持ちが強いです。

自分が思い描く「こうありたい自分像」を守りたいというか、
そこに反する自分は人に見せたくないし
自分自身も見たくない。


特に「できる自分、期待通りの自分、愛される自分、受け入れられる自分」でいたいと
認めたくないけど、無意識深くから強く思っていました。


その理想の自分でいられるように、できることを増やして
人から好かれるために、相手が期待していると思うことを
反射的にやっていることが多かったように思います。


だからなのか、
いくら人から褒められたり好かれたとしても
なんだか、虚しかった。


「あたりまえじゃん、だって、
 "好かれる自分でいるための自分"でいるんだもん。」


私の弱さや不安や恐怖なんて知らないくせに
表面の私の姿かたちだけが見られて
愛されることに、なんの意味があるんだろう。


自分の本音を言わないでいたのは私だったのに
どこかでそんなことを思っていました。

でも本当は
弱くて我がままで聞き分けが悪くてどうしようもなくてダメな自分だとしても

・・・受け入れてほしい。

「それでもいいよ」って言ってほしい。

そのまま、まるごと愛してほしい。


、、、でも、そんなの、きっと無理だ。


だからそんな気持ちに蓋をして、諦めていました。

特に社会人になり働くようになってからは
とにかく「必要とされる自分、できる自分」でいるための努力をしてきました。


虚しさの原因


『もっともっと前にいきたい
速く効率よくできるようになりたい』


でも、そんな能力を身に着けていくことで
頼られたり褒められたりしたとしても

自分の本当の願いは遠く叶わないのに
一体、なんの意味があるんだろうと
やればやるほど、できればできるほど、更に虚しくなっていきました。


今思えば、そもそも私の無意識にあった
「自分が本当に思っていることを言い合って
 深い関係性を築きたい」
という願いとは真逆の方向性の努力を重ねているのだから

虚しくなって当然でした。


なんでも言い合える関係性こそ育てていきたいと、心では思うのに

自分の未熟を認めることが出来ず
弱い自分を表現できずに
どんどん苦しくなっていきました。


本当に挑戦したかったこと


変化のキッカケは、やっぱり仲間の影響が大きいです。

自分ひとりじゃ無理だったけれど
弱さを出しても、不安な気持ちも
ありがとうって受け入れてもらえたから。


「やっぱりあきらめたくないな。
 多くの人とこの深い関係性を結んでいきたいな。
 そこに挑戦する私でいたいな。」

そんな風に素直に思えるようになりました。


速くやるなら1人がいいと思うことは、今でもよくあります。
自分ひとりでやった方が楽だし、効率よくこなせることも多い。


けど、当然ながら
ひとりの力には限界があります。

深く遠くに、多くの人を巻き込んでいくためには
一人一人との深い関係構築・相互循環がなにより大事。


そして今では、気付けば自分の能力開発よりも
関係性を育てることに価値をおくようになっていました。


1人の能力の高さによる結果よりも
関係性の勝利による物語を
私は見たいなあ、と思っています。

いまでもふとしたときに、対応力で突破しそうになるときもありますが
そんな自分と向き合いながら進んでいます。


速さより、深さと広さを。

いくら不格好でも、弱い自分も認め合いながら
関係性を築いていくこと。


そんな私の挑戦を喜んで応援してくれる仲間がいてくれることが
私にとっての何よりも宝物だなと感じています。

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個人の高さの成長から、本質的深さの関係性づくりを。
イベント・読書会などしています。
よければ遊びに来てください!

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