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35歳の抱負

誕生日前日に「35歳の抱負は?」と聞かれたことを期に、
ふと自分のことを振り返ってみた。

せっかくの節目。
改めて、自分のこれまでとこれからに対して思うことを記してみる。


しゃべってるのにしゃべってない心感覚


すごく最近変わったなと思うのは、
なにも考えずに言葉を発するようになったこと。

少なくても1年前の今頃は、
なにを言葉にするにもビクビクしていた気がする。

「こう言ったらどう思われるだろう。どんな反応が返って来るんだろう。」

そんなことが気になって、
無意識的に言葉にすることに対して恐怖があった。

今は本当になにも考えてない、というか。
なにも考えないでしゃべっている。

でも、それが不思議なくらい
ちゃんとまともなことを話しているというか、
むしろ、的を得たことがスルスル口から出てくる。

「今まで、ちゃんと考えて伝わるようにって話していたのはなんだったの?!」と思うくらいだ。
こんなに考えないで話しても大丈夫なのかと、すごく驚いている。

思ったことはすぐ伝えるようにしてるし、
気になることはすぐ聞いちゃうし、
相手が言ってることが分からなかったらすぐ確認する。

そんなとてもシンプルなことだ。

頭で考えていることと口から出る言葉と行動に乖離がないことが、
こんなに楽なんて。

『目なし見る、手なし触る、足なし歩く、脳なし生きる。
 しゃべってるけどしゃべってない状態』

令和哲学者のNoh先生はこのように心感覚を表現されることがあるのだが

「えー、そんなのどうやってやるの?」と思っていた境地に
気付いたら達していたという。

というか、自然とこっちの方が当たり前になってしまっていたようだ。

人間は傷だらけ


「生まれ生まれ生まれて 生の始まりに暗く
 死に死に死に死んで  死の終わりに冥し」

これは、空海の有名な言葉だ。

自分はどこから生まれ、どこへ死んでいくのか。
生まれるとは何か、死とは何か。
こんな一大事を人は考えずに人生を送っている、といった意味だ。

生まれた瞬間、なぜ生まれたのかわけもわからず、
答えを持っている人も誰もおらず、
ただ、周りを見よう見まねで生きていかなくてはいけないのだ。

本質的なことから目をそらし、
目先のことに心を忙しくさせるように扇動され、私たちは生きている。

小さな小さな点にはまりこんで、人間は傷だらけだ。
あまりにもみんな傷を負っているから、それが当たり前すぎて気付けない。

分断され切り離されて、ひとりぼっちの迷子状態。

『それでもなんとか生きなきゃいけない』という生存本能が働いて
頑張って頑張って、なんでもないフリして生きなきゃいけない。

すごそうなあの人も、聖人のように優しい人も
お金持っても、幸せそうな家庭があっても、
仕事がうまくいってても、みんなそう。

何を成し遂げても、自分の中の孤独感からは永遠に自由になれない。

だから人間は、皆総じて傷だらけだ。
完全に死ぬことができない限り、この世の理は分からない。


「転生したい」と思う現代人


最近、転生もののストーリーをよく目にする。
今の人生が終わって、異世界空間の新しいキャラクターになって、
まったく新しい人生がスタートするという展開だ。

こういった転生ものが流行っていることは、
無意識の現代人の願いがこもっているのだろうな、と感じる。

みんな、人生をやり直したいのだ。
こんな思い通りに行かなくて、わけもわからない世界を抜け出して
自分の想い通りになって、自分にしかないすごい能力をもって、
物語の主人公になって生きていきたいって思ってるのだろう。

…その気持ちは分かる。
けど、同時に、自分で物語のシナリオはつくれるのにな、と思う。

キャラクター設定はある程度決まってしまってはいるが、
自分の好きなように、シナリオはリライトしていい。

自分が監督になって、自分を動かすことが、本当はできる。
1人で2役同時にやるのは難しいけど、
仕組みにそってやれば、できないことなんて本当はなにもない。


私自身も「塩田みかり」のシナリオを考えようと思ってはいる。
でも、ガチガチに決めたくもないし、
予定外のことが起こったほうがおもしろいな、とも思うので、
あえて今は、あんまり細かく考えたくない気持ちが強い。

今までの人生でそういうのはさんざん、やってきたし。
目標計画とか、形にしたいとか、
そういうことは少し、手放したい。

本当は、「塩田みかり」が成し遂げたいことはたくさんあった。
だが、それに良い意味で本当に執着がなくなった。

「私」っていう我が強かったから、「私」を中心に物事を考えていたけど、
「私」の範囲が広がり、宇宙の外まで拡張した感覚。

私個人が成し遂げたいことよりも
もっと大事にしたいことがたくさんありすぎて

なんというか、どうでもよくなってしまったといえば言葉は悪いが、
肩の力がぬけて、手放せるようになったのだ。

とはいえ、自分の行動指針は決まっているし
自分の命の使いかたも揺れることはないから

シナリオに遊びをもたせるのもいいかな、と思っている。

誕生日に起きたショックな事件


私が今までの自分の生き方の指針を疑い、
考え直すようになった大きなキッカケとなった出来事があるのだが

それは実は10年前の誕生日に起きた。

その出来事とは、大切な友人が死を選んだことだ。

一生忘れられないくらい本当にショックで
今までの自分の生き方を否定されたように感じるくらい
考えさせられた出来事だった。

自分ひとりが幸せだと感じていることに、なんの意味があるのだろうか。

たった一人、大切な人が傷ついて苦しんで死んでしまったら
自分の幸せなんてあっという間に砕けてしまう。

もう2度とあんな後悔はしたくない。
自分が死ぬことなんかより、もっとつらい。
呼吸ができないくらい苦しい。
今でも思い出すと涙が出る。
言葉にすることが難しいくらい、溢れる思いがたくさんある。

そんな想いをする人がいなくなってほしいと、切に願う。
孤独で不安でどうしようもなくて
そんな気持ちを抱えながら生きなきゃいけないような
人間の傷だらけの現状を、とにかく変えたい。

そんな想いがあるから、私は今の生き方をしているし、
一生揺らがないと確信している。

きっとここからブレたら、自己内矛盾がひどすぎて、私は生きていけないだろう。

80億全人類が母親になる


自分の最期には、「ああ、ちゃんとやりきったな」と思って死にたい。
惰性に生きてしまったとは絶対に思いたくない。

35歳は社会人としてもいい年だし
私もいろんなことができるようになったな、と思ったりもする。

まだまだ自分は未熟な若輩者なのも嫌というほど分かってるけど、
それでも心感覚を意識して10年弱。

私が経験したことや得たもの、
なにより心が経験したものは、すごく価値あるものだと自負している。

これを受け身じゃなく、もっとちゃんと伝えていきたい。

自分の身体のDNAを残すかはまだ分からないけど
なによりも心のDNAはたくさん残し、引き継いでいきたい。

私が所属しているnTechを活用したITベンチャー会社のJeiGridでは
「人類80億人全員が母親になれる」といったメッセージを発信し、
「お母さん」を再定義しているが

血のつながりをこえた、心の大家族時代がすぐそこまできている。

そんな時代の幕開けを感じながらの35歳の抱負。
すごく抽象的だけど、私の中では明確だ。

具体的な方法論はこれから細かく考えようと思うが
どう描いていくか、楽しみだなと思う。



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