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母との確執 ゲハゲハ笑うおばさん

介護の事を書いた時にも多少書いたけど、私は母とは余り良好な関係ではなかった。長い介護生活を経ていることもあり良い思いはないのだ。第一、要介護になる前からソリは合わなかった。

母からは何度か感情的になってかなりひどい言葉を浴びせられた。機嫌の悪い時や私が多少自分の思いと違う言動をした時など、かなりヒステリックな言葉を投げつけられた覚えはある。

自分が一番覚えていて、これは今思い出してもあんまりだと思った出来事はこんな感じだ。40年余り前の高校生の頃に言われた言葉だ。

「盛りのついたイヌみたいに!」

昭和の時代の高校生だった私。男子も混じった何人かのグループでお休みの日に一緒に郊外の公園に遊びに行っただけだ。ただ理解のある親のそぶりをしながら、何かと小言も多く些細なことでごちゃごちゃ言う親だったので黙って出かけた。それが誰かに見られて母親の耳に入ったらしく、その時言われたのが上のセリフだった。

その時に気持ちの上で「母を見限った」。もうこの人には何を言ってもダメだ。もう面と向かって何か意見をしたり会話をするのは気持ちがすり減るだけだからやめておこう。ひとまず私が独立資金を貯めるまでは鳴りを潜めてやり過ごそう、準備が出来たら一刻も早く家を出るんだ❗️と決心して実行した。21歳になるかならないかぐらいの頃かと思う。

気が強く、似た性格だったこともあって母と私は基本的に合わない同士だったのだ。だから社会人になって多少の蓄えが出来た時に即家を出て一人暮らしを始めたのだ。

仕事先は市内だし、実家を出る必然性はまるでなかった。自分の気持ち以外は。


とある講座で出会ったひとりの女性、明るくよく笑う気さくな人だったが私はその人と話をする気になれなかった。その人は母と非常に似た雰囲気だったのだ。

母の太っていて、声が大きくて基本明るく、機嫌が良い時は家事をしながら懐メロを歌っていた。そして笑う時はゲハゲハ笑う。結構「圧」の強い人だった。そんな母を思いだすと未だにちょっとばかりイヤな気分になる。

結局その女性とは10回あった講座で結局一度も話すことも近付くこともなかった。その時の私の選択だしそれはそれで良いかと思う。
そんな母に似た「嫌な感じの人」に自分からわざわざ近づく必要はない訳で。(ホントはとても良い方だった様ですよ)

この事があって、私は自分が母の事を嫌っていた当時がよみがえって来たが、母にも良い所も感謝すべき点もたくさんあった。そして自分の態度にも反省すべき点が多分いっぱいあった、と今になって思う。長い介護の末に亡くなってもう2年になる。納骨に行ったっきり、墓参りには行ってない。(墓は東京に住む兄が決めた、千葉県のよく分からない場所にあるので)


表題のイラストはその嫌な母のイメージ(笑)
だいぶ前のNHKの朝ドラ「マッサン」、その中に出ていた健気なエリーをいびる嫌なお姑役のピン子さんのイメージ。「ゲハゲハ笑うおばさん」の画像を探していて、一番イメージが近かったイラストでした(笑)



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