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’自己犠牲’の捉え方はいろいろ

ちょっと時間ができるとやっぱり妹のことを考えてしまう。
彼女は頻繁に「私は好きなこと、したいことをしたらダメなの!」と同居している母親に話していたらしい。
「家政婦じゃないんだから」とも。

まあ、結婚して子供ができれば、自分の役割は増えるのが当然で、つまり自分のしたいことに費やす時間は減る。でもそれを理解した上での、自分の決定なのであれば、むしろ役割が増えることは嬉しいことでは???と。
もちろん、綺麗事ばかりではなく、私も当然「あー、私ばっかりじゃん」と怒鳴り散らしたくなることもあるけど、コーヒー飲んで、大好きなリンツのチョコレート食べれば幸せになれるような、単純はことではないらしい。妹の場合は。

そもそも自己犠牲を犠牲だと思わないのが私で、誰かが喜んでくれるのを見るのが好き。それを見ると嬉しくなる。今まではいろいろ話してたけど、私の存在がもう嫌らしい。そんな私が何を言ったところで、彼女には届かないから、今回はグッと我慢している。この我慢が私は苦手で、モヤモヤして、今日は1個9ドルもするクロワッサンを買って食べてしまった、もちろん家族の分も。

広辞苑によると自己犠牲とは「身命を捧げて他のために尽くすこと。ある目的を達成するために、それに伴う損失を顧みないこと。」とあり、ちょっと彼女のとは違う気もする。
今回は結局何が言いたいのか、自分でもまとめきれてないけど、「人のためにやってきた」という思いが、妹には強く、それがストレスになっているのであれば、子供二人を連れて実家を出るのはいいこと。明日の妹の引っ越しが無事終わることを祈っています。

この決断も彼女に言わすと「私の責任」だそうで、それを受け止めることにします。

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